災害が育む自然・歴史・まちづくり 
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東海地方


 東海地方には地震を起こす活断層がいっぱいあります。この活断層がたくさん地震を起こしてきてくれたおかげで、沈んだ場所に濃尾平野や伊勢湾ができました。濃尾平野には町をつくりました。伊勢湾ではおいしい魚が捕れ、それから貿易をすることができるようになりました。養老の山は美しい風景を私たちに提供してくれるようになりました。知多半島も隆起してできてくれたおかげでレジャーを楽しむ場所になりました。日本の町はみんなこんなふうにしてできています。すなわち私たちの町は地震によってつくられたのです。そして今はその地震によってつくられた自然の恵みと都会生活を満喫して生きていることになります。ということは、これからやってくる地震とも仲良く付き合っておかなくてはいけないということです。
 500万年ぐらい昔、名古屋の辺りは全部が湖でした。馬鹿でかい東海湖と呼ばれる湖でした。この湖の中に溜まった泥の上に私たちは今住んでいます。そのため名古屋では地震が起きた時にとても怖いことがあります。それは揺れ始めたら止まらないということです。ちょうど東海湖というたらいの中にある水と同じです。たらいの中の水は1回揺れたら止まりません。だから揺れ続けるのです。揺れ続けて困るのは超高層ビルです。とても強く、何10分間も揺れ続けることになります。
 私たちは住むべきではないところにもどんどん町を広げてきました。名古屋市の東半分はめちゃくちゃ地形をかえてきています。山を削り、谷を埋め、平らな場所をつくってきました。ここ数十年の間です。尾鷲と同じようなことをしてきているわけです。いろんなことをいっぱいしすぎています。昔の人たちはもっと自然に謙虚で、かしこかったです。戦前までは堀川の東側の台地だけに住んでいました。地盤の軟らかいところには出ていっていません。だから1944年12月7日の東南海地震で被害が顕著でなかったのは当たり前なのです。ひどく揺れたところにあまり建物を建てていなかったからです。今は違います。堀川の西側には耐震性のない建物がたくさんあります。ちょうど今ご年配になっている方々は戦後に一番損をする場所に居を構えました。本当は東南海地震を経験したこの方々が災害の教訓を私たちに残さなくてはいけない人たちだったのに、その人たちが高度成長に乗っかって、自然災害に対してあまりにものほほんと過ごしてきてしまったのかもしれません。だから私たちはこれから本当に一生懸命に対策をしていかなくてはいけません。
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