災害が育む自然・歴史・まちづくり 
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地震災害と歴史


 地震が起こると歴史も変わります。地震災害の起きた時期と歴史年表を一緒に書いてみると、いかに私たちの国の歴史が自然災害に関係してきているかということが分かってきます。すなわち私たちはこれから歴史を変えるかもしれない地震の群れと出会うことになるのだということです。地震というのは群がって起きます。東海地震、東南海地震、南海地震のような巨大地震の前後には比較的小さな地震が群がって起きます。地震はたくさん起きる時期と起きない時期とが繰り返されます。1945年の三河地震以降、この愛知県下で震度5以上の揺れはほとんどありません。たった1回だけ1996年に豊橋で震度5の揺れを感じました。それ以外は一度も感じていません。これはどういうことかというと、これから確実に数十年の間は強い揺れだらけであるということです。
 どんなふうに私たちの歴史に影響を与えてきたか、そのいくつかをみていきたいと思います。
 まず昭和の地震です。1943年に鳥取で地震が起き、1944年12月7日に東南海地震が起きました。実は翌日の12月8日は真珠湾攻撃をした日です。太平洋戦争の開戦記念日の準備をしていた昼の1時半にこの地震が起きたわけです。アメリカの人たちは地震が起こったことを津波の襲来から知っていました。それが関係していたかどうかよく分かりませんが、この地震の1週間後の12月13日から名古屋を大空襲が襲い始めました。この日から1ヶ月間で10度にわたる空襲が襲いました。そしてちょうど1ヶ月後の1月13日に今度は三河地震が起きました。私たちの地域はたった1ヶ月の間に東南海地震、10度の空襲、そして三河地震を被ったのです。我が国最大の軍需産業の拠点が1ヶ月の間にとんでもない状況になってしまいました。きっとそれによって戦争終結が早まったのだろうと思います。そしてその年の夏、8月15日に戦争に負けるという状況になりました。戦争に負けた直後に襲ってきたのが南海地震で、1946年12月21日でした。そしてその2年後に襲ってきたのが福井地震です。すなわちこの一連の地震災害は、戦争による災害と同時にやってきて、そして戦争を終結させ、新しい私たちの自由な国をつくってくれました。
 次にその前の安政の地震です。安政東海地震は1854年12月23日に起きました。浦賀沖にペリーがやってきた翌年です。この地震の津波でロシアの戦艦が沈没をしました。そしてこの地震の32時間後、翌日に安政南海地震が襲ってきました。ペリーがやってきて、その後、諸外国が日本に開国を迫っていた時期です。そういった社会的に厳しい時代に連発地震が2日続きで起きたのです。そしてこの2つの地震の翌年の1855年に今度は安政江戸地震が襲ってきました。江戸は壊滅です。その後、安政の大獄が起こり、江戸末期の様々な出来事が起こりました。これらはどうして起きたのでしょうか。もちろん、諸外国から開国の要求もありました。大変な自然災害が同時に起こったということも、江戸が終わっていくことと関連があったのだろうと思います。
 さらに前の宝永の地震です。まず1703年に元禄関東地震が起きました。この関東地震が起きる1年前に起こったのが赤穂浪士の討ち入り事件です。元禄は最も文化が成熟していた時期です。その終わりを告げるように元禄関東地震が襲ってきました。その4年後、今度は東海地震、東南海地震、南海地震が1日で一度に起きてしまうような超巨大地震、宝永地震というのが10月28日に襲ってきました。伊豆半島を挟んで関東地震と宝永の地震が起きたわけです。これらによって2つの地震の震源域に挟まれている富士山は宝永の噴火という大噴火を起こしました。歴史上最も大きな噴火のひとつです。この2つの巨大地震と富士の噴火によって、元禄のとても豊かだった日本の国はものすごく貧しい国へと変化していきました。飢饉が随分起こってくるようになったのです。1700年代にはこういった大火山噴火が日本だけではなく、世界各国で起こったそうです。そのためにヨーロッパでは大変な冷夏が起こったり、大河川が凍りついたりしました。また、ペストが大流行しました。こういったことが世界中で起きました。1700年代には世界中、特にヨーロッパでものすごく大きな事件がたくさん起きています。フランス革命もそうです。そういった様々な大きな変革がどうして起きたかというと、やはり大きな自然災害が起きたことと関係していそうです。
 大きな地震が起きた後は150年ぐらいで次の地震が起きます。中ぐらいの地震の時は90年で次の地震が起きています。1944年の東南海地震は歴史上稀に見る小さな地震でした。その地震でプレートが滑らなかったところで地震が起きるだろうということで、25年前に東海地震説が唱えられました。しかし25年間、何事も起きませんでした。もうすでに東南海地震から60年が経ちました。そろそろ小さな東海地震が起きるのではなく、本当に馬鹿でかい地震が起きてもおかしくない時期に近づいてきました。東海地震であればこれから30年の間に84%ぐらいの確率で起き、東南海地震であればこれから30年間で60%ぐらいの確率で起きると言われています。今後30年間で60%の確率というのはそんなに高くないように感じられるかもしれません。でも実は去年の十勝沖地震が起きた時の確率と同じなのです。それから兵庫県南部地震が起きた時には確率はたった8%でした。ですから、先日9月5日の夜の12時に起きた地震の時、私たちは恐怖心に顔が引きつっていました。それはもういつ起きてもおかしくない時期に入り始めていたからです。
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