どんな語りか?
どんな語りかということですが、映画を見た直後に語ってもらっていますので、用意された演説の原稿や絵本などを読むのとは異なり、話す際に頭の中で十分な準備ができません。これを自発的な語りということがあります。一旦話を始めたら、考えると同時に話をしなければいけません。つまり、暗記したものをただ吐き出すわけではなく、考えた結果がどうなっているのかを、その度ごとになるべく忠実に言葉に表してもらうということです。そうすることによって、心の中の状態がどういうふうにかたちに変わっていくかについて、自然なデータを得ることができるだろうという趣旨なのです。言語の選択ですが、この研究の一番の取っかかりはアメリカ合衆国における研究プロジェクトでした。しかし、当時のアメリカ合衆国は不景気で、途中でお金が無くなってしまったということもあり、一旦このプロジェクトは中断してしまいます。ですが、その後重要性が再認識されたということです。もともとは米語の分析からはじまりましたが、この映画を用いて世界中のいろいろな地域、日本、ギリシャ、中米のグアテマラ、それから東南アジア、最近ではアメリカ合衆国内の先住民族の方にも語りをしてもらって、それを分析するという実験も行われています。ですからなぜ米語かというと、研究がたまたまアメリカ合衆国で始まったからということをご承知おき下さい。