時間論
具体的に宇宙の姿を描きだしたのは、文明が発達し始めてからです。それから私たちの取り巻いている世界がどのようなものであるかということを、具体的な形に表すようになったわけです。その1つがエジプト人が描いた宇宙図です。これは宇宙図と言っても本当は地図です。しかしエジプトの人々にとっては、この世界が宇宙だったわけです。
ところがインド人が描いた宇宙図になると、さらに深遠になります。宇宙の言葉の意味を言っておきますと、宇宙の「宇」は空間、「宙」は時間を意味します。したがって、宇宙論というのは時間空間論です。しかし時間や空間は直接目に見えないので、物の形や変化、あるいは運動を通じて時間や空間を認識していくわけです。まさにインド人が描いた宇宙図には時間論も入っているわけです。無論、空間論も入っています。インド人は地球が丸いと認識していたので、半球ですが丸く描いてあります。そしてその下に山があります。これはエベレストを中心とした山ですが、仏教でいう須弥山(しゅみせん)です。世界の中心にある山のことです。その下に地球があって、その地球を象が3頭支えていて、さらにその下を亀が支えている。そしてその下をぐるりと一巻きした蛇が支えているという図です。この山、地球、象、亀、蛇はインドの人々にとっての空間論です。特に象、亀、蛇というのはガンジス川、インダス川、あるいはその流域の密林で仲良くもあるし、敵でもある動物、つまり身近な動物を描いていて、それが世界を支えているということです。問題は自分を飲み込もうとしている蛇の絵です。これは何を意味するのか。これは時間論を意味しているわけです。要するに頭が始まりを表していて、ずっと長い人生があって、終わりがある。その終わりが次の始まりに繋がっていく。そしてまた時間が経って、終わりがきて、また次の始まりに繋がっていく。つまり巡る時間の概念がここに描かれているわけです。時間は巡るということです。
時間論には2つありまして、1つはこのように巡る時間が、生と死を繰り返していくという概論です。私たちの1年もそうです。1年も春に草木が芽生え、夏に成長し、秋に実を付け、やがて衰えて死んでいく。しかしそこで作られた新しい種が芽を出して、また新たな生に受け継がれていく、転生輪廻という言葉にもありますが、いろいろ姿を変えながら、生と死を繰り返しながら生きていくのです。そしてもう1つの時間論は、西洋式、キリスト教的というべきかもしれませんが、天地創造で世界が始まったという概論です。一目散に最後の審判に向けて時間が一方的に流れていき、最後の審判でハルマゲドンがあるという、時間が一方的に流れるものです。この一方的に流れる時間と巡る時間、どちらが良い、悪いという考え方ではなくて、時間論として両方とも大事なことです。一方的に進歩、進化するだけではなくて、同じところをぐるぐる回っているような循環する時間の中で私たちは生きているわけです。毎日、朝に太陽が昇って、夜に太陽が沈んで、その繰り返しの中で生きているわけです。その繰り返しの中で巡る時間を生きていると同時に、ゆっくりと進化していくという、その2つの組み合わせで生きています。いずれにしてもインド人が考えた図は、まさしく空間と時間という2つのものが見事に描かれています。この辺りは神話から一歩進んで、哲学的な考え方を宇宙図として固定したわけです。