古くて新しい狂言の世界 
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能と狂言の違い

 能と狂言は、650年前に猿楽からはじまった兄弟のような関係であります。どちらかと言うと狂言が喜劇であれば、能は悲劇です。双方の異なる点というのは、狂言は「・・・でござる」というセリフ劇で、室町時代に主に庶民で使われていた口語の「ござる調」がベースとなり展開されていきます。能は、観阿弥・世阿弥のような作者がまず台本を作っているので、会話ではなく、文語の「候(そうろう)調」なのです。狂言は会話文が主なので演じられる時代によって少しづつ変化してきています。一方、能は最初に書かれた台本通り変わらず伝えられてきています。

 登場人物も大きく違います。能は、源氏物語の六条御息所や夕顔など、物語の中の登場人物や有名な人たちの幽霊、歴史上の有名な武将や人物である源義経や弁慶、静御前などが舞台上に登場します。観客は憧れの念を持つような歴史上の「ある一点」「ある物語」「ある場所」を観劇します。狂言では、名もない普通のおじさん、おばさんが登場人物となっています。まず、舞台上に人物が登場すると「名乗り」と言われる自己紹介をします。その際、ほとんどの場合が次のようになります。

 これはこのあたりに すまいいたすもの でござる

 これは「私はこの辺りに住んでいるものです。」という意味であり、その舞台から一番近いところにいる人が舞台上で何かをしようという感覚を出そうとしているのです。
 この登場人物や空間の違いは、能は夢物語のとても遠い世界を表現し、狂言は観客と身近さを表現するという違いを生み出しています。夢の世界と現実の世界、その違いをあえて舞台の上で作ろうとしているのです。

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