古くて新しい狂言の世界 
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現在に至るまでの能・狂言の歴史

 能・狂言は、当初は庶民の楽しむ芸能であったものの、室町・桃山時代頃から武士のたしなみごととして庶民から隔離されました。最終的には江戸幕府によって武士のたしなむ芸能として、城の中でしか行われないものとなりました。つまり、城外で興行する際は幕府の許可が必要となり、庶民の人たちには絶対に観られない芸能となったために、その代わりに「歌舞伎」「文楽」「落語」が生まれました。350〜400年の間、能・狂言は武家によって保存され、そのままの形で保つことが出来たので、崩れることなく伝えられ、続けられてきました。世界で類を見ない伝承形態があったために、能・狂言が世界文化遺産になったのだと思います。ただ、笑ってはいけない武士に保護されたことで、喜劇の部分が去勢され、歌や舞いに重きをおいたものとなった点は、ある意味、狂言にとっては良くない面であったことは否めません。

 幕末には能・狂言役者は一斉に解雇されました。茂山家は京都に住まいを置き、御所に出入りをしながら井伊家に召し抱えられていました。しかし、幕府の滅亡により400年間にもわたった武家という保護場所を失います。庶民のもとに能・狂言が戻ってきたものの、既に歌舞伎や落語が定着しているため、いまさら観ようとする人はなく、このままでは、狂言を見てくれるお客さんがいなくなる…という思いから二世千作が、明治の時代考えられなかった地蔵盆や宴席などへ出向いて狂言を演じ、又、狂言以外の舞台に立つことがタブーであった時代、私の父千作や叔父千之丞が、異分野との交流やメディア進出を精力的に致しました。現在、私がラジオのDJを務めたりするなど、活動の場は広がっているのは、みなさんに狂言師を受け入れてもらっている証拠だと思います。幕末から150年経って、やっと認められました。

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