![]() 諏訪遊楽図屏風「綿之湯」 |
当時の風呂というのは、江戸時代のように庶民は家では沸かせないもので、湯船につかるものと単に汗を流す蒸し風呂で後で水をかけるものの2つのタイプがあったようです。場所は神社かお寺、ほとんどお寺です。これは風呂に入って衛生を良くするというより、むしろ身体的・精神的に清浄にする、神聖にする、穢れを落とすという宗教観念が基盤になっているようです。これが中世の風呂の意味だと思います。
京都を中心とする西国では、風呂を沸かした時にどういう人が入るかといいますと、先程の「非人」というものがあります。西国の寺社の縁起では非人と風呂との結びつきが出てきます。非人は文殊菩薩の化身で、それを風呂に入れるとご利益があるという論理があります。しかしこの三河の瀧山寺縁起の風呂には、非人の穢れを風呂で落とすという西国風の発想は全く出て来ません。むしろ地域の領主層を正体とする寺僧たちの命日に風呂を沸かしてみんなで入る、ということが出てきました。瀧山寺縁起はこのような点で、地域色をよく表現しています。