愛知県の歴史 (2)中世 尾張・三河の中世仏教 
もどる  目次へ  すすむ  
中世の風呂の意味〜功徳温室〜

資料
諏訪遊楽図屏風「綿之湯」
 最後に『功徳温室(おんしつ・うんじつ)の事』、風呂のことの話です。瀧山寺には風呂(湯船のある風呂か蒸し風呂か分からないのですが)があって、これが特徴を持っています。以下この史料の最後まで、何月何日に誰が死んだ、この人は瀧山寺にどういう功績のあった人だ、この日に風呂を沸かしたという、少し不思議な過去帳になっています。『正月二日 香衣坊弁慶』、それから『十三日 右大将家源頼朝』は幕府の初代将軍頼朝の死んだ日で、頼朝は瀧山寺に功績のあった人です。15日の『称願坊 和田左衛門入道』、これは「称願坊」というお坊さんの名前を持ちながら、実は「和田左衛門入道」という地元の有力武士だということが分かる箇所です。このような形で、鎌倉時代に実は武士でありながらお坊さんとして寺に入った、または頼朝のように武士であり続けた人で、お寺に功績があった人の死んだ日と名前、その日に風呂を沸かしたことが書いてある史料が縁起の最後についています。
 当時の風呂というのは、江戸時代のように庶民は家では沸かせないもので、湯船につかるものと単に汗を流す蒸し風呂で後で水をかけるものの2つのタイプがあったようです。場所は神社かお寺、ほとんどお寺です。これは風呂に入って衛生を良くするというより、むしろ身体的・精神的に清浄にする、神聖にする、穢れを落とすという宗教観念が基盤になっているようです。これが中世の風呂の意味だと思います。
 京都を中心とする西国では、風呂を沸かした時にどういう人が入るかといいますと、先程の「非人」というものがあります。西国の寺社の縁起では非人と風呂との結びつきが出てきます。非人は文殊菩薩の化身で、それを風呂に入れるとご利益があるという論理があります。しかしこの三河の瀧山寺縁起の風呂には、非人の穢れを風呂で落とすという西国風の発想は全く出て来ません。むしろ地域の領主層を正体とする寺僧たちの命日に風呂を沸かしてみんなで入る、ということが出てきました。瀧山寺縁起はこのような点で、地域色をよく表現しています。
もどる  目次へ  すすむ