武士の地域支配
『ここに沙門阿願宿縁の故にや。霊仏のむなしくくちぬる事をかなしみ、此観世音のあらた成ためしを当(とう)領主念阿弥陀仏にかたれば、領主感涙肝に銘じ随喜心にそみて、則古寺のほとり荒野三町余、水田貳段(こうや さんちょうあまり すいでん にたん)施入したてまつる。精舎すでにくちぬといへども、本尊の威光あらた成故にや。さればはやく建立をくはだつべし。爰に(ここに)此地は熱田社領のうちなれば、貫首(かんず・かんじゅ)御祈祷二世の御願円満のため、此寺内(笠寺内)永(ながく)殺生を禁断し、兼ては神役院役并(ならびに)けびいしどころの使みだりに入るべからさる事、本社熱田の御裁許をかうぶらんため望請所如件(のぞみこうところくだんのごとし)。』
*当領主…この地域の領主
*貫首…熱田社のトップ
ここで登場するのが鎌倉時代の阿願です。縁があったのでしょう。またまた仏様が朽ち果てそうなのを悲しみ、霊験あらたかだと念阿弥陀仏に相談しました。これがこの史料の中で一番大事なところです。「念阿弥陀仏」という名前はお坊さんのようですが、実は領主の武士だと思います。地元の有力武士が僧侶になっているところが中世の特徴です。武士である領主の念阿弥陀仏が心を動かされて土地を仏様にあげました。笠寺の地域は熱田社が支配していた土地でした。そして最後がこの縁起で言いたいところで、熱田社の介入の排除をお願いしたいということです。そのためにずっと歴史、ありがたさを説明してきました。
『殺生を禁断する』、これは一番大事な仏教思想です。笠寺を、笠寺の敷地だけでなく周りの荒野三町も合わせて殺生禁断にしたい。違う表現で言うと聖なる空間、聖地にしたいという意味かと思います。純粋に宗教的にだけ考えると、この笠寺と周りの地域を、観音様が守る聖地として世俗の介入を排除したいという思いが込められた縁起です。しかし先程、領主・念阿弥陀仏という人が大事だと言いましたが、これは地元の有力武士です。有力武士が侍・武士としての姿で、世俗の暴力支配ではうまく笠寺の地域を管理支配できない。それで、中世では一般的であった仏教の世界に自ら入り、宗教、仏教の論理で支配を安定させようとしました。しかも自分だけが前に出るのではなく、勧進沙門阿願という人と手を結んでこの地域支配を進めたというのが実際ではないかと思います。
後白河上皇の娘の宣陽門院が、この荘園の本家にあたります。それから有力な神社である熱田社が実際に尾張の地域のある部分を支配している領家にあたります。その下に笠寺がある。「宣陽門院(本家)−熱田社(領家)−笠寺・地域社会」という、ここだけを連ねて3者を見ると皇族とお宮さんとお寺という感じに見えますが、実際は熱田社の中にも地域の有力領主が集まっているし、笠寺には武士が僧侶として入って宗教の論理で地域社会を管理支配したというのが現実のようです。
縁起の意味だけを考えると信仰・宗教の世界ですが、実際は世俗の地域支配という点を持っている。これは簡単に言うと、武士といえども武力がそのままの姿では地域社会に受け入れられなかったので、普遍的な、受け入れられやすい仏教の論理で地域支配をせざるを得なかったのです。殺生禁断の論理を打ち出して、本家や領家の力を出来るだけ排除する。神聖な空間だといって地元の寺の権限を確保するという論理はどちらかといえば西国に多い。だからといって尾張が西国社会に属するとまでは言えませんが、尾張地域の一事例として、武力をそのままの形では受け入れないという、史料の文言には直接出てこない地域社会の庶民・百姓たちの実力が背景にあると推測したいと思います。