笠寺の霊験
『其後彼上人(そののちかのしょうにん)入滅し給ひ、はるかの年月をへて堂社をのづから雨にくち風にたおれてそのあともなかりしに、有難(ありがたく)も観世音菩薩利益を当來(とうらい)にほどこしたまはんためにや、本尊はくちのこりて荒野の中に立ち給ふ。ある貧女これをあはれみたてまつりて、おのれがきたる笠を取て本尊のいただきにおほひたてまつり、よりより仏前にまふでて心中のきせひをいだしけるに、そのしるしありて、彼女(かのおんな)おもひのほかに昭宣公の三男兼平朝臣にあひて夫婦の契をなせり。』
*当来…現世
*『おのれがきたる〜』…笠をかぶせてあげたということ
*きせい…お願いごと
*しるし…霊験、ご利益
*昭宣公…関白藤原基経。平安時代前半、9世紀の実在の人物
*兼平朝臣…昭宣公の三男とされているが実在しない
禅光が亡くなり、お寺は廃れてしまいました。観音様は、この世に施しなさろうと思われたのでしょう。建物は朽ち果てたけれども、この観音様だけが朽ちなかった。ある貧しい女が笠をかぶせてあげて仏様にお願いしたところ、関白藤原基経の三男、兼平朝臣と夫婦となった、玉の輿に乗ったというご利益がありました。仏様に笠をかぶせてあげたら後でご利益があったという話が、笠寺の名前の由来でしょう。
『折にふれて彼荒野に立給ふ仏像の利生あらた成事をかたれば、兼平朝臣則奏聞をへて、去延長(さんぬる えんちょう)の頃二たび此寺をつくり寄進したてまつり、二百歳にいたるまでそのよせたがふ事なかりしに、末の世の仏の冥覧をはばからず。寺領をかすめむばひ(奪い)て、堂舎二たび頽破におよべり。』
*奏聞…天皇に申し上げること
*よせ…寄進
いろんな人が霊験あらたかだと言ったので、関白があの観音様は立派だと天皇に申し上げ、天皇の許可が出て10世紀にお寺を再建しました。しかし、200年経って12世紀の半ばくらい(平家の時代だと思われます)に、お寺は再び荒れました。