愛知県の歴史 (2)中世 尾張・三河の中世仏教 
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2.笠寺縁起〜尾張の事例


笠寺の起こり


 笠寺縁起は、名古屋市南区の笠寺の由来を語る史料です。鎌倉時代の漢文体の難しい史料もありますが、ここでは『続群書類従』という書物にひらがな交じりで翻刻された方をあげました。以下に順次読み進めつつ考えてみます。

『勧進沙門阿願上(かんじんしゃもん あがん たてまつる) 嘉禎(かてい)四年十二月日』
*嘉禎4年…西暦1238年
 勧進沙門、つまり仏教を勧めるお坊さんの阿願が書いた文章で、領主である熱田神宮にこの書類をたてまつりますという意味です。西暦1238年に成立した縁起であることが分かります。これは確かな年代だと思います。寺の歴史を鎌倉時代の前半に書いたということです。
冒頭のところから説明します。

『尾張国笠寺沙門阿願申状』
 笠寺の僧侶である阿願の申し上げる書類、というタイトルです。
 次に、内容を要約した文です。

『笠寺の敷地荒野三町余(こうや さんちょうあまり)の神役院役のゆるしをかうぶり、并(ならびに)けびいしどころの使、みだりに当寺(とうじ)に入るべからざる事。此条々(このじょうじょう)笠寺の勧進沙門阿願本社熱田の御裁許(おんさいきょ)をかうぶらんと望みこふ所なり。』
*けびいし…警察のようなもの
*当寺…このお寺(笠寺)

 神役とか院役といった上からの命令(上納物や肉体労働)を免除、許してほしいということです。けびいしは京都のではなく熱田神社の警察(検非違使)だと思います。熱田社のほうが立場は上なのですが介入して欲しくない、本社・熱田神社の判決を下してもらいたい、という内容です。つまり、介入を退けるために笠寺がいかに立派な由来を持ったお寺かを説明する目的で縁起が書かれています。
 次からが本文です。

『右当寺(とうじ)はいにしへの建立の霊地、観音利益の道場なり。其本地(そのほんじ)を尋るに、つたへ聞むかし、呼続の浦に一の木あり。いづくともなく浪(なみ)にうかみてただよひよれり。其木よりひかりさしよりよりてりかがやく。これをみる人は時ならずおはします。』
*本地…歴史
*呼続の浦…当時は今よりも海岸線が内陸部にあり、笠寺台地や熱田台地のすぐ西側まで海があった

 笠寺は大昔に作られた寺で、本尊は観音様。そのご利益のあるお寺です。歴史によると、一本の木がどこからともなく波に漂って来ました。その木は照り輝く不思議な木でした。みんなびっくりして何だろうと思いました。

『其名を禅光と名づく。行学(ぎょうがく)不思議にして遠も近きも皆随喜の思ひをなし、高きいやしきおのおの帰依の心をなせり。ある夜、彼上人ふしぎの夢想をかうぶりたまふ。其告(そのつげ)にいはく。よびつぎの浦にうかべる木はこれよりはるか桂旦国預山といふところの霊木なり。此木にて十一面の観音の像を作るならば、もろもろのひとくさを安穏にまもり利益し給はんと。霊夢あらたに見へ給ふ。上人夢さめきどくの思ひをなし、たちまちに信心をこらし。』
*桂旦国…インドの地名
 話は少し変わりますが、その時、名前が禅光というお坊さんがいました。修行も学問も立派な人で、遠い人も近い人も、身分の高い人も賤しい人もみんなこの人を尊敬しました。禅光は不思議な夢を見ました。夢のお告げいわく、あの光っている木はインドの山から川を伝わって海に出てここに来た「霊木」(中世ではこの「霊木」という表現をよく使う)だと。あの光る木で観音様を作れば、いろんな人たちを『安穏にまもり利益し給はん』という夢でした。本当のように見え、奇特な思いをなしました。

『去(さんぬる)天平五年癸酉。霊木をもちひて十一面の観音の像をつくりあらはし、即(すなわち)一宇の精舎をたててこれを安置したてまつり、其名を小松寺とがうす(号す)。されば夢の告にたがはず、一度たのみをかくる輩(ともがら)は、三毒のくるしみをのがれ、一念思ひをこらすものは二世のねがひみてり。利生すみやかにしてきどくさまざまなりしかば、都鄙あゆみをはこび、貴賤袖をつらねて繁盛の霊地となれり。』
*天平五年癸酉…西暦733年、奈良時代
*二世…生まれ変わった後

 西暦733年、仏像ができ、小松寺という寺が奈良時代に出来ました。これが笠寺の起こりです。霊験あらたかなので来世での救いも大丈夫だと、都からも、地方からも人が来ました。

 今も笠寺は観音の信仰の地だと思います。日本の場合木で仏像を作ることが多いと思いますが、どんな木でも良いわけではなく、使うのは特殊な霊木で、そこから仏が現れるという捉え方をしていたようです。ここも同様で、しかもそれはインド(仏教の発祥地)からたどり着いた木で、それだけ霊験あらたかな仏だという考え方です。この当時、世界といえばおそらくインド・中国・日本という3国をつなぐ世界だと思います。事実かどうかは別ですが、どこにも負けない由緒あるお寺だという由来を表現しました。

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