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尾張・三河は一向一揆の中心地域で有名なところですが、私はここではその前段階を考えたいと思っています。中世仏教は、一向宗・浄土真宗などの庶民的な「新仏教」と言われるものが出現する前段階に成立しています。その展開の一部分が一向宗・一向一揆であると考えます。同じ仏教と言っても人間が考えることなので、時代が変わると中身が変わります。古代の仏教は中国仏教の敷き写しである面が強いと思いますが、中世仏教は日本風にアレンジされているという特徴を持ちます。かつては高校の教科書でも「旧仏教」と呼ばれてきました。奈良時代からある華厳宗や法相宗、平安初期の天台宗や真言宗は古い仏教、「旧仏教」だと言われてきましたが、実は平安時代の終わりくらいには性質を変え、中世仏教となります。この顕教や密教を中心として日本風にアレンジされた仏教は「顕密仏教」という学術用語で呼ばれ、これを担ったのが寺社勢力です。奈良の東大寺、興福寺、滋賀県の延暦寺といった中央だけでなく、猿投神社、熱田神宮といった寺社が宗教勢力として力を持つ。これは法然、親鸞の流れをくむ「新仏教」ではありませんが、その前段階として力を持ちました。神社も中世では仏教勢力の一部分です。よく言われる、神仏習合時代です。神仏習合というのは分かりにくい言葉ですが、仏教中心だと考えたほうが実態に即していると思います。したがって、中世は仏教の時代と言うことも可能だと考えます。そこで、中世仏教という視点から中世社会を捉え、それが尾張・三河でどういう特徴を持ったかを考えてみたいと思います。