愛知県の歴史 (2)中世 尾張・三河の中世仏教 
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中世という時代

 およその時代範囲は11世紀の後半から16世紀頃とするのが一般的です。11世紀後半なので、平安時代の最後の100年間を含んでいます。いろんな説はありますが、私は平安時代の最後を中世の出発として、鎌倉・室町時代を含めていいのではないかと思います。近世が訪れるのは信長・秀吉・家康が天下統一する過程で現れる次の段階です。ではなぜその範囲を中世と呼ぶか、これは本当に説明が難しくて、一言では説明できません。しかしこれが中世という時代の指標だろうということをあげてみました。結論を言うと中世は複雑な時代、ややこしい時代。それをやや学術的に言うと、以下のような表現になります。

<荘園制または荘園公領制を組み込んだ社会>
 荘園制とか荘園公領制というのは、土地制度を基本にした表現です。中世は荘園の時代だと言ってもいいと思います。ただ、半分は公領で、国司が管理をしています。具体例を言いますと、三河国の猿投神社の南側に高橋荘という荘園があります。それから尾張国の富田荘は京都の醍醐寺が荘園領主であるという荘園。この中に村がいくつもあって人が住んでいて、年貢が荘園領主に送られる。他に、尾張国の安食荘(あじきのしょう)や八事荘、三河国の碧海荘などという名称で行政区分されている土地制度が組み込まれた社会です。

<公家・寺社・武家などの支配階級が結集する国家>
 30年ほど前の中世史研究だと、中世といえば武家社会だという見方がありました。今は必ずしもそうではなく、公家・寺社が大きな勢力を持っていて、支配階級を構成し、古代の律令国家ほどではないが緩やかな国家を持っていたという見方があります。天皇はその国家の結節に存在し続けます。古代国家が没落してもなぜ天皇の家系はずっと続くのかを考える場合に、権力が分散しているややこしさがありますが、中世にも国家が緩やかながらもあったからだと考えることが大事です。

<在地(地域)に基盤を持つ2大新興勢力としての武士と僧侶>
 やや地域に密着して考えると、新興勢力が出てきて中世社会が切り開かれました。武士と僧侶は中世社会が生んだ双子だという有名な表現も、ここ20年ほど強調されています。武士だけでなく僧侶も新興勢力であることは、尾張・三河を見る場合にも大事なことだと思います。

<被支配身分の中心の百姓>
 百姓というのは、中世に新しい身分として成立するものと見られます。庶民が頑張って安定させた地位で、中身は自立した庶民です。それらが政治的な砦として村落を作っていることが中世の庶民次元での特徴だと思います。

<観念的な権威性と卑賤性>
 権威性の頂点が天皇です。卑賤性の方は、非人が被差別身分の中核に位置付けられます。この両者を上下の両極に突出させて成り立つ身分制度。そのあいだの人数が圧倒的に多いわけですが、上と下に極度に観念的な地位を置いて、身分秩序を序列化した時代です。非人と言うのは後世のものとは中身が違い、中世で生み出された被差別民で、今で言うハンセン氏病をはじめとする悪性の皮膚病の患者を、社会的に差別する身分に位置づけたという厳しい面を持っています。尾張・三河を見る場合にも念頭に置いておきたいところです。

<日本列島規模で有機的につながると同時に海洋アジア北東辺に結びついた分業流通構造>
 人間の行き来が活発だということですが、太平洋海運のみならず日本海海運もあり、アジア全体の動きの中に日本列島はつながっているという仕組みを持っています。中国の高級な磁器が日本にも輸入され、それを真似た瀬戸の陶器が鎌倉や今の青森あたりに送られるとか、日本海側からも出てくるとか、いろんな流通構造がアジア規模でつながっています。

<階級社会であるのに階級を超えて共有された日本風の文化>
 いわゆる「国風文化」というのがいろいろ出てくる、そのひとつが日本的な仏教です。仏教は外国宗教から出発し、中国・朝鮮経由で日本に入りました。それをそのままではなく、社会に応じて中身をアレンジさせたという意味で日本的仏教と言えます。それは「国風文化」の一部で、庶民も強く接触している時代だと思います。

<未開人的呪術から脱却して獲得した現実的合理的精神>
 例えば算数の能力。年貢の計算なども村でかなりするようになります。それから文章を読むのはもちろん、文字を書くこと。識字率は中世にかなり高くなりました。無知蒙昧な社会ではないと見た方がいいというのが通説的なところだと思います。


 要するに中世を複雑な、ややこしい時代だと見ても誤りとは言えません。しかし複雑でややこしいというのは、多元的に歴史が展開した証拠だ、と理解するのがいいのではないかと思います。中央の政治の鋳型が植え込まれたというだけではなく、地域の独特の歴史がいろいろなところで展開して、こういう複雑さが出ている。つまり複雑さ、ややこしさの裏側、実態は、生き生きした自立性の高い地域史の展開がある。このように中世を見てはどうか、と考えます。
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