「国際文化」とは?A環境をめぐる「伝統の知」の再編と世界システム 
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ウォーラーステインの『世界システム論』

 今までお話したことを、少し学問的に理屈づけるとどうなるでしょう。
ウォーラーステインは『世界システム論』で、いままで一貫して資本主義と縁遠くみえていた地域の多くの諸問題が、実は資本主義が発展するための不可欠な構成要素であった、と主張しています。
 つまり、資本主義というのは資本家と賃労働者の間の不等価交換によってのみ発展したのではなくて、さらにその周辺にある、非資本主義的な生産様式から多量の剰余を収奪する事によってはじめて自己を再生産できたのだ、という考え方です。つまり資本主義というのは、資本家と労働者がいるとか、工場があるとかという所に限らず、もっとその周辺まで含んだシステムなのだということになります。

 今日ご紹介した、アンデスの地域も確かにそういうことが言えるわけです。
ビクーニャの毛を刈って、刈った毛はどこへいくかというと、これは国際的な競(せ)りにかけられて、2002年現在ではイタリアが独占して買っています。イタリアに行くと、ビクーニャの毛は繊維にされて、布地にされて、背広になります。すると1着200万円という値段になり、その辺りの人が、いちばん儲けていることになります。ウォーラーステイン流に言えば、資本主義は、そういった非資本主義地域を、最初から包括しているのだということになるのです。アンデスの人たちはアンデス的なやり方で、今のところ、その収入は個人に分配せず、コミュニティの整備などに使っています。
 アンデスの高地のビクーニャの捕獲、野生動物の合理的利用と保全は、この地域の『伝統の知』でした。
 しかし、それが一端途切れてしまいました。そして、復活するいろいろな要因の中には、当然、資本主義があって、そこに資金があって、市場があるということが前提としてなければ、ビクーニャの毛を刈っても自分たちで使うだけで、大きな収入にはなりません。
 もう一方では、環境の保全という大きな流れがありました。また、地域が貧しく、政府にも見放されてきたこの地域を何とかできないかということもありました。そして、観光という要素、技術という要素もあります。昔のように石を使って、何万もの人を動員してということはできません。そうして、できるだけ少数で捕獲する技術がだんだん開発されていきました。また、環境の保全と関係してワシントン条約があり、最初は足かせになっていたのですが、解除になって可能になりました。国内情勢も、フジモリ政権の前は非常に治安が悪く、実際にこういうことができませんでした。
 このように、いろいろな要素が組み合わさって、1つの習慣が新たに誕生したのです。新しい伝統が、古い伝統を再編する形で再生したということが言えると思います。

 またウォーラーステインに戻るのですが、従来は非資本主義的として片付けられていた伝統社会は、実は、資本主義を維持し、発展させていく構成要素であったのではないかということです。従って資本主義は、その中心から周辺へだんだんと拡大、浸透していくわけですが、その一方で、新しい周辺、新しい非資本主義的生産様式を絶えず抱え込んでいくという、不断の過程に他なりません。つまり、こういう地域を次々と抱え込んでいくことで、資本主義は再生産されてきたのだという考え方なのです。ビクーニャの捕獲、ここでみた捕獲が再生したということも、確かにそういう側面があるということが言えるのです。しかし、新たな伝統の創出が、資本主義への包摂にだけ依っているのではないことは、以上で説明した通りです。

 


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