「国際文化」とは?A環境をめぐる「伝統の知」の再編と世界システム 
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アンデスの農民と牧民の互恵的な関係

ペルー南部 プイカ谷

プイカ谷
 野生動物ビクーニャの捕獲『チャク』の話に入る前に、アンデスの先住民社会のなかで、特に、ラクダ科の家畜リャマやアルパカを飼っている牧畜民の生活ついて少し紹介したいと思います。
 私は、ペルー南方のアレキーパという所で、1978年から2年間ほど調査をしました。
 ここにプイカという村があって、いくつかの農村がこの峡谷にあります。4000メートルより低いところが峡谷になっています。それを越えると高原地帯になります。
 アンデスの高原は非常に広大です。有名なチチカカ湖という湖がありますが、標高が3800メートルあります。広さは琵琶湖の11倍から12倍ですので、高原の大きさが想像できると思います。標高4000メートルより上では農業はできませんが、リャマとアルパカの牧畜がずっと行われてきました。
 リャマとアルパカの牧畜は非常に独特です。これはアメリカ大陸で唯一の牧畜なのですが、アジア、アフリカ、ヨーロッパの牧畜と大きく違う点があります。それは、伝統的な牧畜でありながら、一定の範囲内で移動しなくても成立する定住的な牧畜ということです。もう1つは、ミルクを全く利用しないことです。一般に言われている伝統的な牧畜のメリットの1つは、完全栄養食に近いミルクを使うことです。それによって肉をあまり使用しなくても済み、動物をむやみに殺さなくても済むということになります。しかし、アンデスの場合はミルクを利用することがありませんでした。

アンデス高原で放牧されるアルパカ

農産物を運ぶリャマのキャラバン

アルパカ

リャマのキャラバン


※画像をクリックすると拡大表示します。
 また主な用途としては、アルパカは毛を刈り、リャマは輸送手段として使います。肉ももちろん食べますが、肉は1回食べてしまうと終わりなので、肉だけを主食とするわけにはいきません。

 このミルクを使わないという点が大きな違いです。標高で自然環境がはっきりと分かれていて、そこに牧畜と農耕という2つの生業が対応していますが、牧民と農民は、住み分けをしているものの近くにいます。しかも牧民は遊牧民ではなく、移動しません。そこで非常に緊密な関係が作られてきました。牧民たちは、リャマという輸送手段を使うことで、農産物が容易に手に入ったので、ミルクを敢えて使用する必要が無かったというのが私の考えです。

 農村部ではトウモロコシやジャガイモが作られています。牧民は、どうやって作物を得るのかというと、段々畑の作物を袋に入れてリャマに積み、段々畑から険しい坂を登って農村の家まで運びます。それによって農産物をもらう事が1つの方法です。それ以外にも物々交換や、リャマを使って岩塩を調達して、その岩塩を農村に持っていって物々交換をするという方法もあります。
 アルパカの毛は、昔は物々交換の1つの重要な品目でしたが、1950年代か1960年代くらいからこれが海外の市場にも出るようになり、非常に高価なセーターや背広の生地を作るために使われるようになりました。これは牧民にとっての現金収入源になってきました。このように、外の世界とのつながりは、もちろん最近始まったわけではなくて、かなり前からあります。

 農民と牧民の関係は非常に緊密です。牧民は農産物が得られ、農民は輸送手段を確保できるという、互恵的な関係が保たれてきました。それは経済的な関係だけではなくて、お祭りなどにもよく表れています。

 昔、スペインの力によって、アンデスの民は農民も牧民も、名目上はカトリック教徒となりました。彼等にとって見れば、聖母マリア様はきれいな顔をしているので、神様にしろというなら、してもいいなという感じでした。もともと彼等は日本人と同じような、八百万(やおよろず)の神様を信仰する多神教で、自然崇拝、アニミズムをやっていたので、その中に神様が1人2人増えても問題ないわけです。
 ただ、スペインの司祭たちは彼らのやっている土着の儀礼などを禁じました。それに対しては非常に抵抗がありました。そういうかたちで今は、カトリックの信仰と土着の信仰が混ざり合うような状況になっています。
 また、教会の中に安置されている聖人像の祝日に、これを神輿に乗せて練り歩き、みんなでお祝いをするのですが、これは1つの、この地域の経済システムになっています。このお祭りの役割をある人が受けると、その人は自分の財産をなげうって大盤振る舞いをします。それによって彼は、そのコミュニティの中で尊敬と威信を得るという再分配のシステムが、このお祭りで成り立っているのです。


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