死にゆく患者の心に聴くーターミナルケアと人間理解ー 
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患者の気持ちを理解するための4つの工夫(二)

 三番目に、「安易な励ましを避ける」ということです。これは、本当に大切なことです。私が、今日一番言いたいことです。たくさんの人が、安易に励ましています。そして私も若い頃に、安易な励ましをして、ある一人の患者さんからこのことを教えられました。誤解していただいたら困るのは、患者さんを励まして悪いと言っているんじゃないですよ。励ましが必要なときにはしっかり励まさないといけない。ところが、どこかで、患者さん自身は、頑張るだけ頑張って、もう頑張れない状況を通り過ぎているときに、「まだ頑張れ」と言われると、それはつらさだけになるんですね。そこでギアチェンジをしないといけないのに、最後まで日本人というのは頑張らすわけです。これは安易です。
 個人的な体験ですけれど、52歳で、卵巣がんで亡くなった、もと看護婦の患者さんがおられました。この方には、私は6ヶ月くらい関わったんですけれども、死を語り合うことができるほど、きちっと死を受け入れて、立派な最期を遂げられた人です。亡くなる1週間くらい前に、さきほどのアイルランドの方と同じで、「先生、あと1週間くらいで両親のもとへ行く感じがします」と言われました。そのときに、「先生には本当にお世話になって、何かお役に立って死にたいと思っていたのだけれど、何にもお役に立てなかったのがとてもこころづらい。何かお役に立つことはないですか」とおっしゃったので、「私は今までの半年くらいのかかわりの中で、きっと、間違った対応をしたことがあると思う。『先生ここが間違いでしたよ』というように、それを指摘してもらえると非常にありがたい」と言いました。私がこれからも、ずっとこういう仕事をしていこうと思っていることを、その方はよくご存知で、「じゃあ思い切って言います。2ヶ月くらい前に、私が、『先生、私もうだめなんじゃないでしょうか』と言ったときに、先生励まされたでしょ」と言われたんです。はっきり覚えてるんです。そのとき、ドキッとしましたから。医者としてやはり、治らないとか、死ぬとか、もうだめだとかいう言葉は聞きたくないわけです。一番どう答えていいかわからない、ドギマギしますからね。「そんな弱音吐いたらだめですよ。もっと頑張りましょうよ」と私は言いました。そうしたら「はあ」。大体、悪いことをこちらがして、患者さんが黙ってしまわれる前の言葉は「はあ」です。もうそれで会話が終わってしまう。やるせなさの象徴が「はあ」。そのときのことを言っておられました。「先生、私はもっともっと弱音を吐きたかったのに、先生が励まされたばかりに二の句がつげずに黙ってしまいました。そしてあとで本当にやるせない気持ちが残りました」と言われました。これには私、参りました。なぜ参ったかというと、悪いことをしたと全然思っていなかったのです。弱音を吐く患者さんを励ましてどこが悪い、私は正しいことをしたんだ、医者として当然のことをしたんだというようにずっと思っていたにもかかわらず、亡くなる1週間くらい前の人が、遺言のごとく「先生あれは間違いでしたよ」と言ったわけです。本当にショックでした。そして、なるほどと思いました。
 この安易な励ましというのは、決して医者・看護婦と患者さんの間だけに起こるのではなくて、患者さんとご家族の間にも起こります。
 なぜ、安易に励ますかというと、そんな会話についていったら大変だという思いがこちらにあるからなんです。理解的な態度を取ることの難しさはそこにあるんですね。最後の「理解的な態度を取る」ということですが、「そんな弱音を吐いたらだめでしょう、頑張りなさいよ。」と私が言った、その私の心を自己分析してみますと、『こんな種類の会話をずっと続けていったら、どうせ「死ぬ」ということが出てくるに違いない。そんなことは私に対処できない。できれば格好良く自分が傷つかないで、その会話を終わりたい。』何が一番いいかというと、励ますということです。励ましたら見事に会話が切れます。しかも自分が傷つかないで、会話を切ることができる。怖いのは悪いことをしているというふうに思わないところです。教えてもらわないとなかなか悪さに気がつかない。

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