死にゆく患者の心に聴くーターミナルケアと人間理解ー 
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人は生きてきたように死んでいく

 それから二番目に、患者さんから教えていただいたことは、「人は生きてきたように死んでいく」ということです。これも本当にそのように思います。しっかり生きてきた人は、しっかり亡くなっていかれますし、ちょっと変な表現ですが、べたべた生きてきた人は、べたべたと亡くなります。そして、周りの人に感謝をしながら生きてきた人は、私たち医者やナースに感謝をしながら亡くなっていかれますし、不平不満を言いながら生きてきた人は、我々に不平不満を言いながら亡くなっていかれます。最後の一ヶ月というのは、それまでの人生の凝縮です。ですからそういう意味で、人は、生きてきたように死んでいくのです。
 それを言い換えますと、「良き死を死すためには、良き生を生きる必要がある」と思うんですね。そこで、良き生とは何ぞやということが非常に大きな問題になります。これは、ずいぶん個人に委ねられた定義だと思います。私が考えた良き生というもの、つまり、「こういうのが良き生だと思います」ということは言えますけれども、それは人に強制するようなものではない。皆さん方お一人お一人が、自分にとって良き生というのはどういう生なのかということを、考えていく必要があると思います。
 私自身は、たくさんの患者さんを看取らせていただいて、その患者さんとの関わりの中から考える良き生とは次のようなものです。私自身がもう少し年を取って、もう少し経験を積み重ねますと、私自身の良き生の定義が今の定義から少し変わるかもわかりません。現時点では、良き生というのは、「感謝」と「ユーモア」という感じがするんです。この感謝っていうのはよくおわかりになると思うんですね。周りの人たちに本当に感謝をして生きてきた人というのは、本当に良き死を死すということができる。そういう感謝に満ちた人生をずっと送ってこられた方を看取る者は、とてもありがたいですね。やはり感謝というのは非常に重要だろうなというふうに思うんです。
 もうひとつ、ちょっと突飛かもわかりませんけれども、私の、特にここ5年くらいの体験で、患者さんの中にすばらしいユーモアのセンスを持っている方がおられました。そのユーモアのセンスというものが、人間の生きる力の源泉になっているように次第に思えてきたんです。ユーモアというと、「冗談」とか、「ウィット」とか、「駄洒落」とか、そのようなことを思い浮かべられる方があると思うんですが、私が今ここで申し上げているユーモアというのは、もう少しそれよりも広く、深い意味があります。上智大学の哲学の教授で、アルフォンス・デーケンというドイツ人の先生が、ユーモアの研究をしておられます。ユーモアの定義というのが、国によって少しずつ違うんですが、ドイツのユーモアの定義には、「にもかかわらず笑うこと」という定義があるようです。とてもつらい状況であるにもかかわらず、笑うことができる。それがユーモアだと。そして、デーケン先生は、長年ユーモアの研究をずっと続けてこられて、デーケン先生自身のユーモアの定義というのを発表しておられます。私、これがとても好きなのです。それは、「ユーモアとは、愛と思いやりの現実的な表現である」というのです。ここでいうのは、駄洒落がうまいとかではなくて、その人の一言で、ぱっと周りが明るくなり、雰囲気がなごむといった、そういう感覚をユーモアというわけですね。私は、そういう意味で、ホスピスで、患者さんとの関わりの中で、愛と思いやりというのを少しでも患者さんに提供したい。

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