夕焼け小焼けー日本人の自然観、生命観ー 
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『夕鶴』にみる夕陽信仰

山折先生
 『夕鶴』というドラマがあります。木下順二さんの作品であります。これは「鶴の恩返し」という民話を素材にしたものですよね。与ひょうというお百姓が田んぼで傷ついた鶴を助ける。その恩返しに鶴が与ひょうの女房になる。女房になって自分の羽をむしって、美しい織物を織った。それをもとに与ひょうが金持ちになる。ところが与ひょうの悪友がいて、もっともっと羽をむしらせて織物を織らせろと言った。ついにその鶴は人間どもの欲望の尽きないありさまに絶望して、天上に帰っていく。鶴が飛び立ったときに初めて与ひょうは大事なものを失ったと思う、という現代劇です。
   最後につうが天上に戻っていくその場面を、木下順二はどう表現していたか。これが夕焼け空なのです。つうは真っ赤に燃えた夕焼け空に向かって飛び立って行った。木下さんも夕焼け空の意味を、その深い意味をお考えになっていたんだということを感じました。単に天上の世界に戻って行ったのではない。その天上の世界のかなたにある夕焼け空。これはやはり千年、千五百年の間日本人の心に流れ続けていた浄土のイメージにも通じるような、深い思いです。
 木下順二という作家の心の奥底に、日本人の夕焼け信仰、落日信仰というものがやはり同じように流れていたということに私は感動しました。

 しかしそれにしても「夕鶴」という言葉は美しい言葉ではありませんか。以前、これは古典的な言葉だと思って古語辞典を調べたのですが、どこにも出てこないのです。どんな古語辞典をみても「夕鶴」という言葉は発見することが出来ませんでした。半ば諦めていたのですが、今から7、8年前に広辞苑の第4版が刊行されて、それを何気なく見ていたら「夕鶴」という項目を見つけました。1版、2版、3版には出てきません。4版になって初めて登場したのです。しめた!と思って読みましたら、“木下順二作『夕鶴』に出てくる言葉”とありました。これは木下さんが発明された言葉だ、木下さんの造語だ。文学とはかくあるべしと思いました。本当の作家というのは、ただおもしろおかしい物語を作るだけではない。木下順二さんは、今日本人にとって最も大事な美しい言葉を我々のために作ってくれた。その「夕鶴」という言葉の中にも、この夕陽信仰というものの歴史的な深みというものが、畳み込まれています。

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