2行目が「山のお寺の鐘が鳴る」。
仏教というのは山の仏教として初めて日本人のものになるのですね。それ以前の仏教、例えば奈良時代の仏教というのは、法隆寺でも興福寺でも東大寺でも、町に都にできたお寺ですよね。これは学問仏教で、寺は研究をする学僧たちの集まる場所でした。それが平安時代になって、例えば最澄が比叡山に天台宗を開き、空海が高野山に真言宗を開く。山の仏教になって初めて日本人の一般生活の中に仏教の考え方が浸透していくようになったのです。そのことを2行目できちんと言っている。“山のお寺の鐘が鳴る”その山のお寺が朝昼晩鐘を鳴らす。鐘の響きを聞いて人々は起床し、食事を取り、労働をし、1日のリズムがそれで決められていく。場合によってはそこで政治的な集会も行われる。市も立つ。ときには犯罪人が処刑される。全部これは寺の鐘の響きによって行われているのです。
3行目が「お手てつないでみなかえろ」ですね。
夕刻になって落日の時刻を迎えたら子供たちは家に帰れというメッセージであります。しかしこれは大人に対するメッセージでもあると私は解釈しています。「帰るべきところに帰れよ。」そういうメッセージですね。
「田舎から都会に出てきて、働きづめに働いて生活は豊かになった。さて自分の心の中を見てごらん。荒れに荒れてはいませんか? 帰るべきところに帰れよ。」そういうメッセージだと私は思います。だから大人になってもあの歌が響くのです。これは帰去来感情といいます。5世紀中国に陶淵明という有名な詩人がいました。陶淵明の代表的な詩が「帰去来辞(かえりなんいざ)」であります。彼は田舎から志をもって都に出てきた。立身出世して県知事になる。しかし県知事になったときにはっと思ったのです。帰るところに帰らなければならない。県知事の職を投げうって、田舎に帰って悠然として自然を眺めて暮らす。それがこの詩です。
この帰去来感情は、平安時代以降ずっと日本人の心の底に流れ続けてきました。私の人生の師として尊敬する親鸞聖人の代表的な作品の中にも、この「帰去来」という言葉が出ています。それは先ほど申しました浄土なのです。親鸞にとっては、落日のかなたに存在していると考えられていた浄土に帰れ、という意味で言っているわけです。“お手てつないでみなかえろ”わずかな言葉でそのことを暗示しているのではないでしょうか。
そして最後「からすといっしょにかえりましょう」。
帰るべきところに帰るのは人間だけではありません。からすもいっしょです。動物たちもいっしょです。鳥たちもいっしょです。かつてからすは子供たちの良きパートナーだったのです。
最近ではよく「共生」ということを言いますけれども、この「共生」、動物たちや小鳥たちや自然といっしょに生きていこうという考え方は、もうこの『夕焼け小焼け』の歌の中にきちんと歌い込まれていたんです。今さら騒ぐなということですね。
そのように考えて参りますと、この『夕焼け小焼け』はやはりすばらしい歌だったということがわかるのです。李箕永先生に言われなければ私は気付きませんでした。日本人のどなたもこんなことを言った人はおられない。韓国の方だからこそ日本人がよく見えたということがあるかもしれません。