輝け あいちっ子 
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(2)親は子どもにとって最初の教師

ア 人間らしく育つために
 親による保護や世話は、単に危険から身を守り、生命や健康を維持するためだけではありません。
 親は子どもが2〜3歳になると、自分で食べられるように導きます。この時、たいていの親は、ただ食べればよいというわけではなく、スプーンやおはしを使って食べること、こぼさず食べること、しっかりかんで食べることなど、食事のしつけをし始めます。時間を見てはオマルに乗せたり、抱き上げてトイレで排せつを促したりもします。また、「こんにちは」や「いただきます」のあいさつをきちんと教えようとする人もいます。
 基本的な生活が人間らしくできるようになるために、色々な方法を教える人という意味で親は教師でもあるわけです。人は一生のうちで多くの教師に出会いますが、赤ちゃんが初めて出会う教師は、お母さんとお父さんです。

イ 意図的でない教育
 一般的に、教育はある目的を持って意図的にかかわる営みです。しかしながら、子どもに大きな影響を与えるのは、意図的な教育ばかりとは限りません。「親の後ろ姿を見て育つ」とか「子どもは父母を映す鏡」などと言われるのは、むしろ意図的でない教育の重要さを言い表した言葉と言えましょう。
 うれしい時の表情や怒りの表情など、教えたつもりはないのに自分そっくりな我が子を見て苦笑する人は多いでしょう。「おうちごっこ」で、ぬいぐるみのクマに「言うことを聞かないと、どこにも連れていきませんよ」などと言っているのを耳にしてドキッとした人もいると思います。親は教師である前に、モデルなのです。よいモデルをもった子どもは、よい習慣を容易に身に付けます。

ウ まねることから学ぶことへ
 人間の優れた能力の一つに、まねをするという能力があります。無意識の教育が成り立つのは、まねをする能力があるからです。まねっこを楽しむ時期はじっくりまねっこをすることが大切です。盛んにまねをする時期を経て、やがて「これ何?」と質問するようになります。周りへの好奇心が芽生えた証拠です。「どうして?」と聞くのは、物事には因果関係があることに気付いたからです。このような知的好奇心こそ賢さの源です。子どもの好奇心を先取りして教え過ぎると、かえって聞きたい意欲を無くさせます。

エ 依存と自立
 おもらしをするようになった、「食べさせて」と甘えてくる、添い寝をせがむなど、せっかく自立の方向に向かっていたのに後もどりしたように見える子どもがいます。下の子が生まれたわけでもないのに、赤ちゃん返りをした我が子に、ついつい「もう大きいのにおかしいわね」「幼稚園に行かれないわよ」などと言いがちですが、このような言葉は子どもを不安にかりたてます。こんな時はもう一度赤ちゃん時代を楽しんでいるのだな、と解釈することができます。お手伝いをしたり、赤ちゃんの世話をしてくれたら「お姉ちゃんにやってもらって助かったわ」「やっぱりお兄ちやんは力持ちね」などと認める言葉をかけます。子どもはいつでも、依存したい気持ちと自立したい気持ちの間を揺れ動きながら成長していくのです。

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