映画を読むとはどういうことか 
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小津安二郎の文体

 小津の代表作品『東京物語』(1953)を紹介します。小津の映画には外国の研究者の関心が深く、小津で日本の伝統を知った、日本を好きになったという人も多いのですが、これが日本だと思われたら非常に困るということもあります。日本的なるものとは単純に言えないからです。
 小津の代表的な作品には、父と娘、父母と息子など、家族の関係を描いたホームドラマが多く、日本的な家族像と言われています。映像上で考えますと、小津の映画にはパンや移動撮影はなく、ワンシーンをすべてカットだけでつないでいます。非常に単調であり、映画に出てくる人間は植物みたいだとアメリカのある研究者は言っています。また、非常に静止的で、カメラで見える範囲が制限されているような視野の狭さを感じます。戸外は別として、カメラは必ず固定されたロー・アングルで、これは畳に座った位置だと言われます。このロー・アングルがしばしば畳文化とみなされ小津=伝統的日本と解釈された向きもあります。このように、映画文法的な要素、移動もパンも何もないために、絵画的でもあります。静物画のようにも見えます。また、プロットには通常のドラマのように山場がない、始めと終わりがはっきりしない、釈然としないとも言われます。文法を無視してプロットもないので変わっているということですが、外国人はこれを日本的で、わびとさびと禅だと見るのです。
 ドナルド・リチーは、小津の映画ではショットはロング・ショット、ミディアム・ショット、クローズ・アップの3つの組み合わせで成っていると言っています。ロング、ミディアム、クローズ・アップと来てから、ミディアム、ロングに戻る、つまり1、2、3、2、1というように戻るのだと。『東京物語』の場合、最初の石像の場面ではロングで外を写しています。映画の好きな人は必ず列車を入れますが、彼もよくロングで列車を入れています。笠智衆が娘の香川京子と話す場面、どう感じられますか。娘に話すにしては非常に丁寧ではないでしょうか。他人行儀でもあります。注意して欲しいのは、セリフが非常に単調であることです。面白いことに、小津は映画を作っているのに演技を嫌った人なのです。あまり感情を込めたりすると余計なことをするなと言って、何回も同じセリフを繰り返させたそうで、「その中からどれかが選ばれるらしいが、なぜそれが選ばれたのかは最後までわからない」と笠智衆は語っています。演技をさせずに、わざと単調な言い方をさせるのです。我々は決してこのような話し方を現実ではしませんので、どうしても不自然な印象を受けます。人物がまるで植物のようだと言われるのももっともな気がします。
 これから小津の映画を見る方には気をつけてもらいたいのですが、蓮實重彦が指摘していることですが、彼の映画ではいつも窓や玄関の外に石垣などの何かが迫っています。ほとんどの映画で家は何かに取り囲まれています。こうした設定に閉鎖感、圧迫感を感じます。小津はおそらく、家を間近に取り囲むものによって、家庭そのものの孤立を描きたかったのでしょう。ですから、日本的だと言われているにもかかわらず、不思議なことに庭におりて何かをするという場面がまずありません。ホームドラマに付き物の、縁側から庭におりていくという行為が全然ありません。縁側を介して家と自然を行き来する、つまり、日本的な自然との日常的な調和というものがありません。
 小津映画の典型的な家は、玄関から入ると左側に和室8畳が二間続いており、奥には台所、右側には4畳半ぐらいがあるらしく、台所の手前あたりには2階へ行く階段があるという造りです。ただ、蓮實重彦はおもしろいことに小津の映画には階段がないと言っています。私は小津の映画を何回も見ましたが、階段はありそうでちゃんと映ってはいません。彼によれば、1階でいつの間にか何かの陰にパッと消えたと思うと2階のシーンになっており、2階は25歳以上の女性の独占的な空間です。小津の映画においては25歳以上の女性とはこれから結婚しなければならない未婚の女性で、例えば「お前がいると便利だが、そうもいかんだろう。そろそろ結婚しろ」と笠智衆が言って、原節子が結婚していく、そのような女たちの特権的な空間は1階とは完全に隔絶されており、原節子は必ず2階に上がって泣くと言っています。
 先ほど、マッチ・カットの原則を挙げました。話をする場合には相手の目と自分の目がちゃんとマッチする、身振りも切り結ぶようにするのが原則です。休憩を挟んでから撮り直す場合、座る位置も足の位置も全部白墨で決めておいて、顔の角度も前とつながるようにしますが、小津はこういうことに無頓着でした。位置のマッチ・カットの無視の例を見ましょう。東京に行った東山千栄子と笠智衆は子供たちにたらい回しにされて熱海の海岸に行かされますが、ひどい旅館だったのでうるさくて眠れない、そのような家族の残酷さがあるところです。翌朝二人が熱海の海岸の土手に座る場面では、浴衣のまま肩を並べて丸くしているのを小津は背中から撮っています。そのショットは2つありますが、よく見ると笠智衆と東山千栄子の位置が入れかわっているのです。場所を勝手に変えているのは小津の一種の遊び、ゲームだったのかもしれませんが、「こんなものは変えても見る人間は1つにしか見られない」と言ったらしいのです。このように何気ないような場面で、小津は映像的にすごく過激な、人がやっていないことをしているのがわかると思います。
 小津映画の特徴の1つである視線の場合はどうでしょうか。バスト・ショットで切り替えされる東山千栄子と笠智衆の視線はどうなっているでしょうか。ここでの夫婦の視線もよく見ますと微妙にずれていることが分かります。
 トリュフォーは、小津の映画を見ると不気味になると言っています。視線は交わっているのか、あの目は本当に相手を見ているのかと不安になると言っておりますが、その通りだと思います。視線は交わらず、違う方を見ているのではないかと思いたくなります。小津自身は「全然構わない。視線なんて交じ合わなくてもいい」と言っていたらしく、ここでも小津が映像の基本文法を無視しているのです。また、何と言っても驚かされる視線の問題に、人物が顔を正面に向けていることが挙げられます。なぜ正面から我々観客(カメラ)を向いているのか、いろいろな解釈があります。日本人は正面同士で人を見ないという佐藤忠男の解釈に外国人は飛びつきます。例えば茶室でも主人と客側は斜めになり、正面を向かい合わないように、相手に対する遠慮とかリスペクトがあるために向かい合わないのだといいます。小津の映画では正面とはカメラに向かっており、カメラが主人であるかのように、カメラは客を見るかのように主人公を見ているので、人物同士は相対させないのだと言っています。また、蓮實は映画的な文法を破った過激なやり方だと言っています。確かに正面を向いて話す人間を見ると異様な感じがし、驚きます。正面をどのように考えるかということでは、まだいろいろな意見があるところです。
 小津は、大変モダンな感覚を持っていました。彼はよく煙突シーンを撮りますが、同時に平行的なものを配置させます。垂直と平面を同じフレームに入れるわけです。『浮草』の冒頭では手前の突堤に置かれたビール瓶と奥に見える灯台が、同じ形状の反復となっていました。とてもモダンでしゃれた構図です。日本人らしからぬ、幾何学性や均整というものを好んだ面があります。駅のホームで並ぶ場面とか、人がどこかに向かっていく場面などでは、小津は必ずすべてを同方向にしており、本当は自然ではないのですが、わざわざ不自然な構図にして撮っているのです。これも一種幾何学的なものを感じさせます。泥臭いものは嫌いでした。またしばしば物語には関係のないものを出しました。エンプティ・ショットと呼んだり、あるいは枕詞にあたるピロー・ショットと呼んだりする研究者もいます。小津の映画には意外と抽象美を感じさせる場面が多いのです。
 東山千栄子が死ぬことを暗示している場面では、後ろの山がロング・ショットで撮られています。これは最初にも出た場面ですが、最後の方では逆光で撮られているので山がはっきり見えず、人もいません。そういうことによって東山の死を暗示しているのです。最後の場面は最初の場面の繰り返しで、円環になって戻ってきますが、実はすべてが変わっています。東山千栄子が亡くなり、娘の杉村春子は残酷なことばを残して葬式が終わったとたん東京に帰っていきます。亡くなった息子の嫁である心優しい原節子も、汽車で帰って行きます。そこで映画が終わるのかと思っていたら、今度は笠智衆が独りぼっちになるところが映ります。外国人から見るとこれは非常に暗い結末ということになります。けれども、笠智衆は穏やかに見え、暗そうには見えないために、1つのわびとさび、現実の受容であると解釈されています。最後に出てくるのは水平の構図なのです。リチーは、これは家族崩壊だが、その現実を結局は受容する人間を描いていると言っています。
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