映画を読むとはどういうことか 
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視点

 客観カメラとは見えた物を見せることですが、主観カメラ(視点ショット)とは主人公(誰か)が見たものを写すということです。それによって、主人公の関心や主人公と他の人物や物との関係、主人公の心理などを知ることができます。
 北野武もセンスがあって頭のいい人ですが、『あの夏、いちばん静かな海』(1991)では聾唖者の茂という青年を主人公にしました。当然、聾唖者なので話すことができません。この青年の心理を表現するために、どうしたでしょうか。北野武自身がインタビューで、茂には主観ショットがないと言っています。主人公が何かを見る場面がないのです。ハンディキャップを負っている茂は、ゴミの収集を仕事にしていますが、職場も自分の居場所だとは思っておらず、好きな海とサーフィンだけを生き甲斐にしています。ですから海やサーフインを見るときだけは視点ショットが写るのですが、それ以外のものを見るときには視点ショットを持たない存在として描かれています。そのように描くために主観ショットの不在を意図的に使った1つの例です。障害者を題材にする場合に陥りがちな感傷性を完全に否定した北野ならではの作品といえるでしょう。

カメラ・アングル

 カメラを低い位置に置くロー・アングルでは小津や溝口、加藤泰がいますが、加藤は小津よりもっと低い位置から撮ります。加藤の緋牡丹博徒シリーズ『お命いただきます』では、穴を掘っているのではないかと思うぐらいの低い位置から撮っています。やくざというのはお天道様をまともに見られない日陰の身であり、恥ずかしい存在だということで、地べたをはうようなロー・アングルが必要となるからです。もっと言えばお百姓さんのアングルだと言えるかもしれません。地べたにひれ伏すようなアングルだと思います。

モンタージュ

 モンタージュとはショットとショットをつないで編集することです。狭い意味ではエイゼンシュタインが唱えたモンタージュ理論のことで、違う意味を持つものをつなげることによって、どのショットにもないような意味を作り出すことです。『戦艦ポチョムキン』にはライオンの石の像が出てきますが、座っているライオンと立っているライオンを別々に撮り、両方が違う場所にいても、それをつなぐことによってライオンが立ち上がったように見えるのです。石のライオンが立ち上がるように見えることを人民が立ち上がることに引っかけて、弁証法的に新しい意味を作り出している力強いモンタージュです。
 平行モンタージュはクロス・カッティングとも呼ばれます。典型的な使い方は追う者と追われる者を同時並行的に撮影するときです。グリフイスの『国民の創生』(1925)では、囚われの白人女性が逃げようとしているシーンと、助けにいこうとクー・クラックス・クランが群れになって馬で駆けつけるシーンを、交互に写して場面が平行モンタージュです。劇的な時間を作り出すことができます。

マッチ・カットの3大原則

 マッチ・カットの3大原則とは、人物の位置、動き、視線を一致させることです。特に相対する人物の視線の一致は、人物間のリバース・ショットの時に必須の条件となります。

フラッシュバック

 フラッシュバックとは現在の時間を過去に一瞬戻すことで、過去の思い出や記憶などを編集によって入れてしまうことです。シドニー・ルメットの『質屋』が有名ですが、アメリカで質屋をしているユダヤ人に、過去のアウシュビッツ強制収容所での経験が一瞬フラッシュバックで戻ってくるというものです。フラッシュバックが絶対必要な映画といえるでしょう。映画は、長い時間のスパンをフラッシュバックによって同次元で描くことができるのです。

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