
ヒッチコックがいかに映像でしかできないことを常に考えて計算して製作したかは、トリュフォーによるインタビュー集『ヒッチコック映画術』によく現れています。大学で映画の授業を取った彼の娘が、「お父さんの映画のことをすごく難しく言っていたよ」と父ヒッチコックに報告すると、「自分はただ楽しませるために作っているのだから、授業で言っている映画の理論などはみんなうそだ、聞く必要はない」と娘に言ったらしいのです。楽しませる目的というのは事実でしょうが、だからといってヒッチコック映画が単純な娯楽であるとは言えないでしょう。映画を芸術に高めた一人がヒッチコックなのです。最後の『ファミリー・プロット』に至るまでのほとんどの映画で、最初から最後までヒッチコックは映像でなければできないことをしています。『見知らぬ乗客』は、ファッショナブルな靴と地味で真面目そうな人柄をあらわす靴という対立する靴が左右から近づいてきて、最終的には同じ列車に乗るというシークエンスから始まります。これなどはクレジット・タイトルからエスタブリッシング・ショットまで、作品全体の意味を表現しているものです。