がんに克つために 
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がんとは症状のない病気 <早期発見で治そう>

 今日は、そんな難しい学問の先端の話をしません。がんとはいったい何か。簡単に言うと、老化というのがあるでしょう。老化というと怒る人がいるので、近ごろは高齢者、年の高い者だと。年が高いのではなく、あれは多いのだといって、多齢者だという人もいる。多齢者というと何かがたれているみたいでおかしいから、ある年代から上の人を高齢者と言うのが今では普通になっています。その「ある年代」がまたわからないのです。
 老人学会というものができたのです。老人の定義として、老人とはいくつから言うのか。できた当時は、今から30年ぐらい前ですが、60歳を超えたら老人でいいだろうといっていました。ところが、今60歳を超えた人にあなたは老人だと言ったら怒られてしまいます。70歳を超えたって怒る人がいるのですから。 何歳と数字化しようとするから無理なのです。個人個人みんな違うから数字化はできないのです。例えば60歳になったときに、戸籍の年齢は60歳でも肉体・精神年齢はプラスマイナス20違うというのです。20とは、40歳ぐらいに見える人もいるし、80歳ぐらいに見える人もいるということです。
 まさかそんなにと思っていましたら、私どもの小学校卒業50周年記念パーティーがありました。小学生の生徒の50周年ですから、それに10を足すと60で、ほとんど全員が還暦なのです。還暦が集まって、還暦集合というようなものです。そこへ遅れてきた友達が1人部屋へ入ってきて、先生の肩をポンとたたいて「お前の名前は何といったっけ」と言うのです。これは何を意味しているかというと、先生は我々より10歳か15歳か20歳ぐらい年上ですが、50年以上もたつと、10年、15年、20年というのはもう誤差範囲になってしまって、見た目ではわからないということです。還暦の人と75歳ぐらいでも差がほとんどなくなってしまう。これはじりじり変わるからわからないのです。急に変わったらお化けだと言われてしまうが、50年もかけてじりじり変わるのでわからないだけのことです。
 がんも同じなのです。じりじり研究が進めば進むほど、最初のがんができてから死ぬまでに、20年も30年もかかっているというのが今では大体の常識です。
 例外はあるのです。生物学にはいつでも例外があります。先程話した私の親戚は、前の日まで元気だったのにと皆さんが言われますが、がんというのは静かに進行して、じりじり時間をかけて大きくなっていきます。自分が気づいたのは昨日であって、がんははるか昔からつくられているわけです。ただ、それに気がつかないだけなのです。なぜ気がつかないかというと、がんという病気そのものには症状がないからです。
 私のいぼは何個あって、ほくろがいくつあって、どうしてわかるかというと、「鏡で見たら」と言うならまだしも、「かゆいところが8カ所あったから8個ある」などと言う人はいないでしょう。あれと同じ種類なのだから、そもそも症状がないでしょう。ただ、何年、何十年と放ったらかして何の治療もしないで見ていれば、あげくの果てには命を失う病気だという意味です。がんには症状がないということを、それが一番大切なことですから、今日は十分に覚えて帰っていただきたいと思うのです。
 いくら声を大にして口を酸っぱくして症状がないと言っても、いろいろな本を見ると、がんの症状がいっぱい書いてあります。おしっこに血が混ざっていたら注意だとか、痰に血が混ざっていたら注意だとか、何だかんだと症状が山ほど書いてあります。うそとは言いませんが、あれはほとんど役に立たないのです。
 たとえば、昨日の同窓会でお酒を飲んで、ぐてんぐてんになって帰ってきて、あくる日に血を吐いたとすると、ワッと騒いで、大変だといって病院に駆けつけます。いろいろな検査をしたあげく、「昨日飲んだでしょう」とか何とか言われます。「同窓会でしょう」と。飲む量があまり違いすぎると、そのためにただれが起きて、そのただれが血をじくじく出して、それが一晩寝ている間にたまって、朝バーッと吐いたということが一番多いのです。だけど、普通一般ではそうではなくて、血を吐いたのだから胃潰瘍だというのが常識でしょう。その常識は間違いなのです。中には胃潰瘍ではなくがんの症状だと言う人がいますが、酒を飲んだがためにただれた血の、たまりにたまったものがあくる朝に出たということが一番多いのです。
 それをそうだと決めるためには検査をしなくてはいけない。レントゲンを撮ったり内視鏡を撮ったりいろいろなことをして、やはりこれは「ただれだったのですよ」と、ほとんど99%の人はそれで終わってしまうのです。ところが運のいいか悪いか、ただれがあるなと見ているうちに、「おっ、これは」と。そこで偶然小さながんが見つかってしまう人がいるのです。すると、これはがんだから手術しようということになります。そうすると、血を吐いたのはお酒によるただれのためなのに、まるでがんが血を吐かせたように思いがちなのです。すなわちその人が血を吐いたがゆえに、偶然にも運よくがんが見つかったということです。
 皆さんも一所懸命酒を飲んで血を吐きましょう。そうすると、小さながんが見つかるチャンスが与えられ、がんで死なないで済んでしまうのです。しかも、手術までしないで、ちょっと削るだけで治ってしまうのです。今はそういう時代になっているということを申し上げたいのです。だから、早く発見することが大切です。
 昭和37年(1962年)にがんセンターが築地にできました。そのころ私は赴任しました。そのころに治療した患者さんが、その後5年以上元気でいたのは約33%です。3分の1も助かったかと言うのは早合点であり、男は20何%、女が40何%で、女というのは強いのです。女の人のおかげで、足して2で割れば33%という数字が出ているのです。がんにもひどいのも軽いのもいろいろありますが、同じ程度のがんになったとすると、男は死んでしまうが、女は助かってしまうのです。こういう人はたくさんいるのです。私は目の前でたくさん見ていますから、いくら大きな声で言っても何の良心にも恥じない。女の人は強いですね。病人になっても強いのです。がんに克つ力の強さ、これはすごいのです。
 ところが、それから30数年たちました。その後がんセンターは有名になってしまったので、今治療している患者はほかの病院では手の施しようがないほどどうしようもなく、最後はがんセンターでというので、そういう人は当然早く亡くなってしまうのです。軽い人ばかり集めている病院だったら、今は猛烈に治る率が高いのです。
 そのがんセンターみたいなところでも、私が行った当時で33%、私が院長をやめた平成元年のころには既に55%ぐらいまで上がり、すごいなと思っていたら、それから10年以上たった今ではもう60%を超しています。60何%とはがんの半分以上で、ひどいがんも全部を含めて、ちゃんと治療すれば治るという話です。まして、その中でも早期の人は90%というほとんどが全部治ってしまっているわけです。
 そこで、どういう人が治ったのだろうとよく調べますと、ほとんどの人は、幸か不幸かというよりも故意か偶然かといった方がいいのですが、早期に見つかった人です。故意にとは自分が進んで検診を受けて見つかったという人で、自分が意志を働かせて早く見つけたのです。偶然とは先程言ったように、血を吐いたので胃がただれているだけだよと言っていたら、胃のわきに小さながんも一緒に見つかってしまったということで、これは運のいい偶然です。そういう人が本に書かれるときは、初期のがんでも出血が原因で見つかることが多いと書かれるのです。これはうそなのです。その辺を間違えてはいけないということを、頭の中へうんと入れていただきたい。
 繰り返し繰り返しその話をするのですが、帰ると主催者からよく手紙をもらいます。「わからなかった話がよくわかるようになりました。早期ならがんは助かり、早期は特に症状がないということもよくわかりました」と。そうではないのです。早期だろうとひどいがんだろうと、症状がそもそもないのががんですよと言ったつもりなのです。昨日までゴルフのスコアがよくて医者に褒められた人が全身がんで、それから2カ月後に亡くなっているのです。
 要するに、がんとは、症状がない病気だと思い込んでほしい。運がいい人には症状があります。たまたま神経のわきにできたので痛いとか、たまたま血管のわきにできたので破ってしまって血が出たとか、そういう人だってないとは言いません。あるけれども、それをあてにしているほどばかなことはない。では、どうしたらいいか。時々何ともないときに検査して、今年は大丈夫ですよと。来年も大丈夫ですよと。これを繰り返して、生きられるだけ生きましょうと言っているだけなのです。

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