まず、プログラムの1に書いてある「がんとは何か」ということを言わなければ次に行きそうもないですから、簡単に言います。
がんとは何か。例えばなりたての医者とか学生、若い医者などに、少し先輩になる私どもが「がんとは何ですか」と言うと、「そんなのわかっているくせに」と言うから、「わかっているのではなく、がんとはどういうことだと素人に説明しますかと聞いているのですよ」と言うと、「がんはがんですよ」と。要するに、本当のところはわかっていない人が多いのです。
少し勉強した人には、がんというのは止めどもなく膨れてきて、だんだん大きくなってきて、時には破けたり出血したり、いろいろなことを起こして人体に害をなすものだと言う人もいます。もう少し勉強した人は、顕微鏡でそれを見ると、正常の細胞の中にはちょっと色の濃い核があるのですが、その核の大きさが大きいものを言うとか、それを染色体で染めると濃い色に染まるのががんだとか言います。いや、そうではないと。そのもとにはDNAというものがあって、それの何番目のDNAが変わればがんになるなどと言う先生もいます。
皆さん方はどのように理解すればいいか。簡単に言いますと、こぶの一種です。いぼやこぶと同じで、ほくろなどもこぶの一種です。いぼのない人というのは、探してもきっといないだろうと思うのです。ないといっても裸にしたらきっとあり、気がつかないだけで、あるのです。そのいぼと同じものです。しかし、少しだけ違うところがある。何かというと、そのいぼやほくろはそのまま放っておいても命を奪うことはまずないということです。自分にはほくろが何個あるかなんて、知っている人すらいないですね。それが、がんの場合は放っておけば必ずそれが原因で命がなくなる。そういうものをがんと言うというのです。
それでは、「放っておいてみなければがんかどうかはわからないのですね、死ぬのを見定めて、死んだからがんだという診断をするのですね」と言う人がいます。本当の話、それに近い場合もあるのです。あるけれども近いだけであって、毎回そう診断しているわけではないのです。慣れてくれば我々専門家は顔を見ただけで、顔というのは人の顔ではなく、がんの顔を見ただけで、これはがんだとか、これはがんではなく良性の腫瘍(いぼなど)、たちのいいこぶだと言うのです。たちのいいこぶとたちの悪いこぶ、すなわちがんは、ほとんど同じだから見てもわかりにくいのです。素人が見たって、いくらさわっても何をしてもわからない。けれども、専門家が見ると不思議なことにわかるのです。
そうすると、その言葉に反発を感ずる人がいるのです。いくら専門家といっても、あれは顕微鏡でなければわからないもので、それを見たらわかるとはちょっと言い過ぎではないですかと言う人がいます。
例えば私の親戚にがんで死んだ者がいます。実は糖尿病だったので、毎月病院に行って血を採って検査していました。「時々検査していますか」と言うと、「毎月検査しています」と答えました。「それなら大丈夫ですね」と言ったら、「でも見る目によって、人によって違うかもしれないから、先生、久し振りに会ったから検査してくれませんか」と。「がんの目で見てくれませんか」と言うので、「いいよ、明日しましょう」といいました。すると、その前の日まで軽井沢へ行ってゴルフをやり、糖尿病の先生からやせたといって褒められて、体が軽くなったからスコアがよくなって、「いい気持ちです」と前の晩に言っていた人が、あくる日にがんセンターで検査したら、なんと驚くことに体中が全部がんなのです。もとのもとをよく調べたら膵臓がんで、大きな膵臓がんがおなかのおへその辺にあるのです。それが転移をしてあちらこちらに散らばってしまって、骨から肺から肝臓から全部転移だらけ。こうなると、我々の常識から見て、これは2〜3カ月しかもたないなと思うわけです。そこで、「効くかもしれないと思う薬もあるから、せめて入院して治療しましょう」と言ったら、「はい」と言って入院したのです。
そこまではいいのです。入院して病室まで行く間に、「大変失礼なことを聞いて悪いが」と私に言うのです。「あなたは私の顔を見て、私のおなかもさわらずに、私の目をひっくり返して見るわけでもなく、聴診器も使わず、何もしないのに、写真をパーッと並べられただけでこれはがんだといいました。相当ひどいが入院してやるだけのことはやりましょうといいました。本当にがんですか」と。
親戚だから隠したりしてもしょうがないからズバリ言ったのです。それも、急に言うのは酷だから、いかに重大な病気を抱えているかという話をいろいろな言い方でしたわけです。ところが、それを信じてくれないのです。こういうときには、本当だと言わざるを得ないのです。「だからできるだけのことはやりましょう」と言ったら、質問です。
「普通がんかどうかを決めるには、怪しきところを見つけて、そこへ針を刺して細胞を採って、それを顕微鏡で見てから、やはりがんでしたという話をたくさん聞いているが、あなたが針も刺さずに何もしないでそれだけのことを言うのはどうも理解できないので、そこを説明してくれませんか」と。ごもっともでしょう。
それで私は何と言ったか。それと同じような質問を中国で受けたことがあるのです。
昔の満州の奉天、今の瀋陽に中国医科大学という大学があります。昔、日本人が満州医科大学をつくったのですが、その施設の7割は今でも使っているという大きな大学です。そこへ1週間ぐらい泊まって連続講義をしたことがあるのですが、そのときにレントゲン写真をいっぱい出して、「こういうのはがんではないです」とか、「これはがんです」とか。そして、「これをよく見て脳裏に焼きつけてお帰りください。それでも納得が行かないという人がもしいたら、この写真を貸しますから明日の朝までよく見てからいらっしゃい。そうすれば、がんだということがわかりますから」と言いました。
そしたら、そういうことは科学的ではないと言うのです。これは科学という迷信に陥っている人のよく使う言葉です。
そこで、私から質問しました。「あなたに息子さんはいますか」と言ったのです。「います」と。そこで「息子さんが小学校を卒業するときに、校長先生を真ん中にして100人ぐらいの子供が並んで写真を撮るでしょう。丸い同じような顔で、みんな目が2つで、三角の鼻なんてなくて、みんな普通の鼻をして、口は真ん中に1つあり、大蛇みたいな口の子はいないのです。100人も同じような顔をして並んでいる写真を見て、どれがあなたの息子ですかといったら、あなたにはわからないでしょう」と言ったのです。
そしたら、「冗談じゃない、息子の顔ぐらいわかります」と言うから、「うそだ」と言ったのです。「これがあなたの息子だということを科学的に説明してください」と。すると、「科学的とは何ですか」と言うから、「数字化すれば科学的だというのだから、目が3つあったとか眉毛が3本ぐらいあったとか、何かそういう言い方はできませんか」と言ったのです。「みんな眉毛は2本で、10歳前後の子供です。それなのにこれが自分の息子だとあなたにはわかるはずがない。」と、ちょっとからかったのです。
そうしたら、「息子の顔ぐらいわかります」と怒ってしまいました。それは真実なのです。わかるのです。我々がいくら説明されても、「うちの息子はこういう顔で、笑うとしわがここに寄って、えくぼがあって、何だかんだ」と散々聞かされても、親でない人には写真を見たって100人の顔の中からはわかるわけがないのです。親にはそれがわかるのです。そこがポイントなのです。
なぜわかるか。生まれてから10年、笑った顔や怒った顔、悲しい顔、喜んだ顔のすべてを毎日毎日見ているからです。何万ではきかない、数え切れない情報がこの中に入っており、その1つがここにあるからこれが息子だと言っているだけのことで、本当を言えばそれが科学なのです。
我々がこれは考える余地なくがんだと言えるのは、がんとがんではないものの境目を数多く見ているからです。
言っていることはわかりますね。たまには、顕微鏡で見なくてもパッとわかるがんもたくさんあるということです。けれども境目になってくると、どちらかなと迷うようなものもある。これもそのとおり。そういう場合には顕微鏡を見ると、がんか、がんでないかがわかります。顕微鏡で見ることも形態学ですから、顕微鏡をのぞいて細胞が大きいとか色がどうだといっても、それは形がそうだというだけの話であって、数字で出るわけではないのです。学問の基礎の基礎は形態学だということを、ゲーテはもう何百年も前に言っているのです。そのぐらい形態学とは大切なものなのです。したがって、そういう経験を踏んだ人にはわかる。だから、自分の息子の顔もわかる。そういう意味です。
文化勲章をもらった偉い人とある会で一緒になったのです。廊下で会うたびに、「先生、がんはまだ大丈夫ですね」と自分のほっぺたをこうやるのです。これは冗談なのですが。顔を見ればがんかどうかがわかるなんて、まさか思ってはいないでしょう。
しかし、がんというのはすぐそばにいるのです。すぐそばにいるが、パッと見たぐらいでは慣れていない人にはわからない。そういうものなのです。
また、顕微鏡で見ても、わからないものもごくたまにはあるのです。
この内輪話をします。ある患者が入院していた。がんだろうか、がんではないだろうか。いろいろな検査をしたが、どうも境目でわからない。そこで、少し細胞を採って病理の先生に見てもらった。病理の先生はそれを見ていろいろなリポートを書いてくれましたが、そのリポートを見たら、どちらにも取れるようなことが書いてあるのです。これではあまり役に立たないと思って、まあ病理は病理だから、こちらでは患者さんの方が大切だと、治療をしていた。後で聞いたら、病理の中で専門家だけが集まって、これが果たして本当にがんか、がんではないかと、すごいディスカッションをしていたらしいのです。とうとう皆さんがわからなくて、お前が代表だと、この資料を持って図書館でもどこへでも行って調査して、これががんかどうかを調べろと言われた男が1人いたのです。その若い男はそれを調査したのですが、いくら調査してもわからないのです。
そしたら、大親分の教授が何と言ったか。がんかどうかを決めるときに、顕微鏡を見るうえでも、患者さんが今どんな状態であるかということを知ることも非常に参考になるのだと。だから、患者さんがどんな状態であるかを受け持ちに聞いてこいと。場合によったら患者さんの顔も見てこいと言って、病理の先生が若い医者を派遣してよこした。そこで、「何しに来たのか」と言ったら、「臨床の患者を診ている先生が何と言っているか、患者さんはどんな状態かを聞いてこいと言われて来ました」と。「あの患者さんは先週亡くなったよ」と言ったら、「そうですか、それならがんだ」と言うのです。そんなばかな話はと言うが、20年、30年の間にはその程度難しいものも1人、2人はいるということを言っているのです。そのような境目はいっぱいあるということです。