学校におけるヒドゥン・カリキュラムの実際 
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小学生にみられる体育・スポーツにおけるジェンダー・バイアス(隠れたメッセージ)

(2)スポーツにおける「当り前」観

 僕のスポーツ授業を1つの例にしますと、半身が麻痺している車いすの学生が前期に1人いました。学生たちにとっては、車いすの学生と一緒にやるなどという発想がない。できないのではないか、障害者にはやはり無理ではないかと思っています。今はパラリンピックなどがあり、障害者スポーツも大分変わってはきましたが、自分たちと一緒にプレイすることなんてできないと思い込んでいます。では、本当にそうなのかということで、私はバトミントンの授業でニュー・ミックス・バトミントンというものを考えたのです。バトミントンを広くスポーツに置き換えるとニュー・ミックス・スポーツという言葉になります。スポーツには男女混合ダブルスのようなミックス・スポーツがあり、実はニュー・ミックスとは障害を持った人とそうでない人が一緒にするスポーツなのです。
 そこで、健常者である学生も車いすに乗って、バトミントンを一緒にやってもらいました。車いすに乗っている人と乗らない人がお互いにペアを組み、ダブルスで対戦させるのです。つまり、ミックスダブルスです。障害を持っていない人も車いすに乗るので、これは障害者のスポーツではなく、新しいスポーツなのです。1人は車いすに乗り、1人は車いすに乗らないでする、ニュー・ミックスなバトミントンです。
 やると非常におもしろくて、実際には車いす操作にたけている学生が非常に強いのですが、ルールをどうすればおもしろくなるだろうかと、最初はいろいろなルール変更を考えさせたのです。そうなると、結局はサーブだけのルール変更になりました。サーブが届かないところだけはエリアを決めようというだけで、あとは全部通常のバトミントンルールで一緒にできると学生たちは考えたのです。だんだんやっていくうちに、車いすに乗っているパートナーに対して、乗っていないパートはどういうポジションをとればいいのか、どういう動きをすればいいのかということで真剣になり、車いすの人のために「はい、どうぞ」というような単なる同情心ではなく、汗をかきながら、車いすに乗っている学生も一生懸命になって、非常におもしろいプレイができました。
 最後に、学生にレポートを書いてもらいました。初めてやってみて、最初はできるかなと思ったが、こんなに真剣に難しくておもしろいものはないといった感想を述べています。逆に、車いすに乗っていない人たちと車いすに乗っている人たちがするスポーツは、これから新しいスポーツとしてどんどん考えられてもいいのではないかという意見も出てきました。
 つまり言いたいことは、スポーツとはこういうものだ、バレーは6人制しかないというように、バイアスがかかって知らず知らずのうちに思い込み学んでいるものを、どうしてそうなっているのかと私たちが気づくことで、いろいろなスポーツを作る可能性ができてくるということです。
 今、スポーツとはオリンピックという1つの頂点に向かっていくという「富士山型」から、多様なスポーツの存在を同等に認める「八ヶ岳型」にして、いろいろなスポーツのあり方を探っていくことが大切だと思います。オリンピックに向かうスポーツもあり、ニューミックスみたいなスポーツもあり、ママさんバレーみたいなものもあり、それが、どちらが上でどちらが下という問題ではなく、楽しみ方の多様性とかさまざまなとらえ方をすれば、同じ価値あるものとして、多様なスポーツを認めることができます。例えばジェンダーという視点においても男のスポーツはこれだというのではなく、男と女が一緒になってするスポーツなどがたくさん生まれてきます。実は知らず知らずに学んでいる子どもたちに対して、その知らず知らずという隠れたメッセージ・隠れたカリキュラムとして学んでいるものを、もう1回表に出してやることによって、いろいろな発想・考え方・可能性を子どもたちに伝えていくことができるのではないかと思います。
 その後どういうスポーツをするかは、子どもたちが選択すればいいのです。しかし、知らず知らずにスポーツとはこういうものだと思わされてきたことに対しては、これは突き放してみるとおかしいところがあるよと、なぜそのように思ってしまっているのかと、隠れたカリキュラムとか隠れたメッセージを1回子どもたちの意識の上に乗せてあげるのです。そして、子どもたちが何を考えていかねばならないかということを、今体育やスポーツの中でしっかりと学んでいく必要があるのではないかと思っています。

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