学校におけるヒドゥン・カリキュラムの実際 
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小学生にみられる体育・スポーツにおけるジェンダー・バイアス(隠れたメッセージ)

(3)『スポーツと「女らしさ」「男らしさ」』をテーマにした体育授業(小学校5年生)

 これも私の知り合いである広島の小学校の先生が同じような実践をしました。結論だけ言いますと、スポーツにおける女らしさ・男らしさという基準に自分たちがとらわれていることにまず気づかせながら、スポーツの発展史をたどれば女らしさとか男らしさは本当に変化してきており、非常に非科学的なものだということをとらえさせつつ、その基準を乗り越えた新しい基準を作るにはどうしたらいいのかということを、体育の授業で実践しているのです。体育の授業では単に体力をつけるとか、うまくなるとか、下手だというだけではなく、これは僕自身の主張ですが、体育の授業でこそこういったことをきちんと教えていく必要があるのです。スポーツの中でどんなことが起こっているのかという中で、ジェンダーの問題も当然取り扱わなければならないと思います。
 最初子どもたちは、ソフトボールのようなゲームでホームランラインを女子と男子で分けていました。これは男にはパワーがあって女は弱いからで、女の子のホームランラインを前にしようと。それを当たり前としてやっていましたが、学んでいくとどうもそれはおかしいという話になっていきます。そこでどうしようかという議論をし、子どもたちが考え、修正をします。男でも弱いやつがいるから男弱ラインと男強ライン、そして女子ラインを作りました。これでもおかしいのではないかと、ああだこうだと話し合いの末に出てきたのが男女区別なし1本ラインという新共通ライン。点線では女子ラインと男子ラインがあり、1本ラインでホームランラインを決めたが、やっぱり男ばかりがホームランを打ってしまうという話も同時にあり、どう乗り越えていくか。そこら辺の問題で最後に出てきたのは、1点ライン、2点ライン、3点ラインみたいなもの。男子と女子を全く分けるのではなく、男の子の中にも強い子もいれば弱い子もおり、女の子の中にも強い子がいれば弱い子もいるという考え方の中で、こういった得点ラインみたいなものがあれば、新しい得点のつけ方によってみんなが一緒に楽しむことは可能ではないかと、新ルールを作り出してきました。
 まだ不十分であるとは思いますが、こうした授業をすることで、子どもたちが知らず知らずのうちに女は前、男は後ろと決めていたことに初めて気がついたのです。男でも絶対にホームランを打てない子がいるので、小学校の段階では特にあるのですが、男女差でなくて個体差という考え方になりました。
 そういう意味で、これからはこうした授業を現場の先生と一緒になって少しずつ考えていきたいと思ってます。私自身も皆さんが受け取っているような隠れたメッセージについて話しながら、自分自身が学生たちに何を発しているのかということを意識化するよう努力をしながら、学生たちと一緒に授業をしていきたいと思っています。

最後に

 当たり前と思っていることの中に隠れているメッセージとか意味をどう読み解くか。実は、体育教師がどう見られているかということもそのための1つの材料になります。例えば皆さんにも、人間関係などの中で隠れたものを読み解いていく目を持つことが、新しい関係やつながり、ものの考え方を生み出していくチャンスになるのではないかと思います。
 急ぎ足での話で非常に申し訳なかったのですが、体育・スポーツの例として、私の担当箇所は終わらせていただきます。

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