学校におけるヒドゥン・カリキュラムの実際 
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体育教師のヒドゥン・メッセージ ―体育教師のイメージ―

【イメージが与える影響】

 そのようなイメージを持たれている体育教師が同じようなことを言っても、やはり抱いているイメージで子どもたちには受け取り方が全く変わってくるのです。私自身もいろいろな経験をしていますが、体育教師にいいイメージを持っている学生に対して何か伝える場合と、まだ悪いイメージでかたまった状態の学生に伝える場合とでは、同じことを言っても受け取り方が全く違うのです。内容は理解していますが、理解する注意の向き方が全く違い、動機づけが変わってきます。
 アメリカのシーデントップという体育研究者が実際に調査をして、いくつかのデータを出しているのですが、体育教師に対するイメージによって受け取り方・学習成果が変わってくると言っています。その中の1つで、「お前」とか「きみ」と呼ばれる場合と、「丸山君、こうこうこうだね」と言われる場合では、その後の学習の活動、モチベーションが全く変わってくるというのです。これは、私も大学生に経験しています。例えば最近、学生の名前がなかなか覚えられないのですが、もう少し若いときにはわりと柔軟で、授業の3回までにクラスの学生たちの名前を覚えようと努力しました。最近では覚えても忘れたり、ついつい覚えられなくなったりしていますが、なるべく「固有名詞」で呼びかけるようにはしているのです。それは、「何々(固有名詞)さん、これをちょっとこういうふうにやってちょうだい」などと言えば、その後の行動や関係が変わってくるのです。これは経験上、先程言った心理的な距離の問題でもあるのかもしれません。僕が授業の3回目ぐらいまでにいきなり名前を呼ぶと、私の名前を知っているんだと学生はびっくりします。小学生にもどったような顔をして、にこっと笑うのです。実は学生も含め子どもたちは、教師の持っているイメージや発している言葉の内容以外に、そういったものをかなり受け取りながら、授業を受けたり学習活動を展開したりしていることに、よく気づくことがあります。
 学生の受け取り方に影響を与える学生が持っている体育教師に対する個人的なイメージや、体育教師個人のパーソナリティーがヒドゥン・メッセージの意味に影響を与えていると思われますが、それ以上に、実は歴史的・社会的に作られてきてきたイメージやヒドゥン・メッセージの意味に目を向ける必要があるのではないかと思います。

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