先程、私が何の教師だと思いますかという質問に対してすかさず体育と言われました。国語と答えてくれる人はまずいません。なぜか。色が黒いからというイメージでまさにとらえられるのです。実は私自身も、体育の先生は外で授業をしているから色が黒いというように、身体的な外見を特徴的なこととしてとらえられることもありますし、実は体育の教師が内から出している雰囲気みたいなものをとらえられ、あの人は体育の教師じゃないか、あの人は社会の教師、あの人は国語の教師かななどと、学生にもボソボソ言われることがあります。そこで、私は女子大生の1クラスにアンケートをしてみたのです。私が何の教師かと聞けば、体育を教えているのですぐに体育と答えますが、体育の教師に対してはどんなイメージがあるか、特に中学・高校時代の体育の教師に対するイメージについて調査をしてみました。
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同時にマイナスのイメージとして出てきたのが、「権威的・保守的(言葉としては威張るとかずるい、すごむなど)、すぐ手が出るなど暴力的とか乱暴」というものがあり、これは言葉遣いも乱暴で、「てめえ」などとボロクソに言われたということです。ちょっと冗談っぽく、痛烈に書いてあるのが「ヤのつく自由業っぽい人というイメージがある」というもので、「怖いとか怒る、短気、鬼、ヒステリック」というネガティブなイメージがありました。体育教師に対していろいろなイメージが学生にあることがわかります。そのイメージの背景には、おそらく学生個々人のいろいろな経験が当然そのベースにあるでしょう。体育の教師はいろいろな見られ方をされると思うのです。実際社会的にもポジティブなものとマイナスのものの両方を合わせ持ってイメージ化されているのではないでしょうか。
特に私自身が感じることはネガティブな側面の方です。体育で悩んでつまずいてきた人たちなどは当然そういう思いで多くを語ってくれます。そんな学生が多いことも事実です。大学の教員養成過程の専門の授業では、最初はどんな体育の教師に教えられてきたのかという事実認識から、実際に授業に入ります。自分たちが教師になったときにはそんな授業だけはしてはまずいねということと、ではどんな授業をしたらいいのかを考えるきっかけにするために、このようなイメージを語ってもらうのです。その中で、先程言われたような「色が黒い、ゴリラみたい、筋肉質、どっしり、ごつい」という身体的特徴があり、この特徴=体育の先生なのです。いくら色が黒くても、どっしり・がっしりでもほかの教科の先生にもいると思うのですが、体育の先生とはそんなイメージとして捉えられています。もう1つは「いつもジャージ、ホイッスル、出席簿(えんま帳)」というもので、これが体育教師の3種の神器だと言ってくれる学生もいましたが、この3つをいつも持っているというようなイメージが体育教師に対して作られています。
以上、とりわけネガティブなイメージについて具体的にお話してきましたが、実際には多くのポジティブな側面も含めて、体育の教師は子どもたちにいろいろなイメージを持たれているわけです。このようなイメージを抱かれている体育教師が、例えば体育でバレーボールを教えていても、実はそれ以外のものを隠れたメッセージとして子どもたちに強烈に伝えているのです。自分自身が気づいていない部分でも、相手である子どもたちはいろいろな受け取り方をしていることが多いし、同時にそれでイメージを作り上げています。体育の教師というのは1つの職業ですが、それぞれの職業柄によっていろいろなイメージが作られているし、それは個人のレベルだけで作られているイメージではなくて、社会的なイメージとして作られているのです。ここに問題点がもう1つあると私は思います。