学校におけるヒドゥン・カリキュラムの実際 
もどる  目次へ  すすむ  
はじめに


 まず、私は何の教師だと思いますか。そう、体育の教師です。なぜ、そう思われたのでしょうか。色が黒いからでしょうか。
 実は、私が何もしゃべらずに体育の教師だと見られてしまうことにも隠された情報がいろいろとあります。その点については後で具体的な話に触れながら進めてみたいと思います。つまり体育やスポーツにおける隠れたカリキュラム・隠れたメッセージという問題について、少し事例を入れながらお話ししたいと思います。

ヒドゥン・カリキュラム(隠れたカリキュラム)とは

(1)カリキュラムの3つのレベル
 加藤先生には教育における隠れた次元について心理学的側面からいろいろとお話ししていただきました。そこで、ここでは、まず簡単にヒドゥン・カリキュラム(隠れた裏のカリキュラム)について説明します。つまりカリキュラムには表のカリキュラムと裏のカリキュラムがあり、カリキュラム研究の中ではカリキュラムには3つのレベルが考えられるのではないかと、言われています。1つ目は、実際に授業の場面で教えたり学んだりしているときに言われるカリキュラム。2つ目は、学校の中で作られている教育課程や、教育計画とか指導計画というかたちでのカリキュラム。3つ目のレベルとしては、それを拘束・規定している、国が作っているような学習指導要領のようなカリキュラムがあります。3つあるのですが、特に今回は1つ目の、指導場面とか学校教育の中での指導計画などに実際にかかわるようなカリキュラムの問題として、指導計画などの表のカリキュラムと、教師がいろいろなことを発している裏のカリキュラムという面について、お話ししたいと思います。
 ヒドゥン・カリキュラムという概念そのものは、1968年に初めてアメリカのジャクソンという人が教育学の中に提唱し始めたと言われています。今日のカリキュラム研究では表のカリキュラムと同時に裏のカリキュラム(隠れたカリキュラム)研究が非常に重要視されてきているということです。

(2)ヒドゥン・カリキュラム(隠れたカリキュラム)とは
 ヒドゥン・カリキュラムとは何か、この点について授業とか学校での教育課程レベルにかかわったことで、簡単に述べてみたいと思います。子どもたちは明示的に教えられなかったことまで学びます。これは先程加藤先生から心理学的な側面でご説明があったと思うのですが、教師の教えや学校生活、学校制度そのものの裏に潜み隠れているものを、教師の言語的なコミュニケーションに伴う表情とか語調・態度や教師が持つイメージや雰囲気などの非言語コミュニケーションを通して学び取ってしまうのです。つまり、子どもたちはある内容を教えられていても、その内容と同時にいろいろなことを学び取っているということです。これは経験的にも、学校現場でも家でも、子どもたちは親や教師の姿を見ながらいろいろな情報を学び取っています。親がこうしなさいと言っていることに対して、中身だけではなくていろいろな雰囲気も取り込んでいるのです。
 そんなことも含めて、学校の中ではそういった隠れたメッセージが子どもたちに伝えられて、子どもたちは自覚的に、また無自覚的に、規範とか価値、信念、知識やいろいろな性向(性格的なもの)などを、隠れたカリキュラムの中で学び取っているのです。今回はとりわけ体育とかスポーツの中でそういう問題がいったいどのように出ているのかということを、ぜひ皆さんと一緒に考えてみたいと思いますし、それを参考にしながら皆さんが自分自信に関わるいろいろな隠れた次元の問題について考えてもらえればと思っています。

もどる  目次へ  すすむ