心理学からみた教育の隠れた次元 
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隠れた次元とは?

c)二重拘束(double bind)という見えざる「わな」
 コミュニケーションの隠れた次元の1つの例をお話ししましたが、「二重拘束という見えざるわな」というのは、コミュニケーションの場合にとても大事なことがもう1つあり、それがこの種の問題領域なのです。
 隠れた次元は、もっぱら非言語的な表現の領域にたくさんあります。言葉にならない行為の次元と言ったらいいでしょうか。言葉ではなく、行為の次元にたくさんの隠れた次元があるのです。そういった隠れた次元を非言語的な表現の領域全般に広げて考えてみたときに、教育の問題を考えるうえでとても大事な心理学的な事実があります。それが二重拘束という問題であり、Double bind(ダブル・バインド)といいます。これはグレゴリー・ベイトソンという人の用語ですが、二重に縛られるということです。何に二重に縛られるのかは、例を挙げてお話しするとわかるのではないかと思います。
 ダブル・バインドの理論は、分裂病の発症メカニズムを説明する理論としても用いられることがあります。今から事例でお話しすることは、ベイトソンが実際に挙げている事例の1つです。分裂病で入院をした若い男性の患者がいました。その患者が快方に向かい、そろそろ退院してもいいのではないかということになったので、今までは家族との面会が許されていなかったのですが、母親との面会が許されたのです。お母さんが会いに行きました。久し振りに息子に会うお母さんが個室の病室のドアをあけて入ってきて、笑顔を浮かべて息子を見て、よくなってよかったねと息子に言葉をかけます。息子の方は久し振りにお母さんに会ったのでうれしくて、お母さんの方に近づいていって抱きつこうとしたところ、抱きつくというのはアメリカの文化ではごく自然にされることですが、お母さんはピクッと体を緊張させたのです。抱きつこうとしたときにお母さんの体がかたくなったことが反応として息子にはわかったから、一瞬抱きつく動作をやめました。そのときに、お母さんは息子に言ったのです、お母さんが久し振りに会いに来たのにお前はうれしくないのと。そう言われた息子は顔を真っ赤にして、どうしていいかわからなくなって、ちょっと後ずさりしました。
 そのような例をベイトソンが挙げています。これは、言葉が発しているコミュニケーションと体が発しているコミュニケーションがずれたときに、その2つのコミュニケーションを受けとめた子どもが、どう反応していいかわからなくなってしまうという事例です。たぶんどこかに親としてのある種の罪悪感みたいなものがあるだろうし、なぜ私の息子がこんなふうになってしまったのだろうという思いもあるだろうし、いろいろな思いがあったのでしょう。そこで、その場では体は息子を拒否し、言葉では息子を受け入れているという表現を発したのです。そうすると、どちらに従えばいいのでしょうか。言葉どおりにお母さんに抱きつけば、病気にかかってしまった息子にギュッと抱き締められることに、お母さんは心の隅で何か居心地の悪さみたいなものを感じて、身体的な拒否の信号を発するわけです。では、抱きつかないようにしたらいいかというと、どうしてお前は抱きついてくれないのかと言葉では言われるのです。どうしていいのかわからなくなってしまうでしょう。
 そういう状況をダブル・バインドといいます。ダブル・バインド(二重拘束)とは、言語的なメッセージと非言語的なメッセージの両方が矛盾して発せられ、どちらに従って行動しても当の相手を満足させられないような状況のことです。これは、実は教育の場面の中にたくさんあるのではないでしょうか。大人と子どもとの関係で、大人が知らず知らずに子どもに対してダブル・バインド状況をつくってしまうことがよくあります。
 例が適当かどうかわかりませんが、不登校の子どもがいるとします。大抵の親は最初は学校へ行ってほしいと思っているわけですが、無理に行かせるのはよくないと指導されたり、確かに学校だけが人生を生きていくうえでの唯一のルートではないと納得したりして、ある時期からは子どもが学校に行かなくても行けとは言わなくなり、子どもを受け入れる状態が生まれてくるのです。でも、高校ぐらいは出ておいてほしいという気持ちが、親にはどこかにあるのです。言葉の表現としてはそんなに嫌だったら行かなくてもいいよと言いながら、どこかで行ってほしいと思っていたりします。それは身体的な表現となって、随所にメッセージとして子どもに向けられるわけです。すると、どちらのメッセージに従ったらいいのか。親が非言語的に発するメッセージから、子ども自身が学校に行かない状態でいることにある種の罪悪感を持ち、重荷を背負うということがあるのです。
 学校でも、クラスの中ではみんなが何でも話せるようにしましょうと先生が言いながら、今の学校はスケジュールがきついので、子どもに自由に話をさせていてもまとまらなかったりすると、先生が強引にある方向にまとめてしまったり、子どもがそこで何か突飛もないことを言い出すと、思わずそれを押さえつけてしまったりする。先生が言っていることとやっていることが違ったり、意識しないところで子どもに対して発しているメッセージが言っていることと違ったりすると、そこでどう振る舞っていいか、子ども自身が混乱してわからなくなるということがよくあるのです。
 こういうのをダブル・バインドといいます。心理学では1つの重要なコミュニケーション論のキー概念として、この概念があります。これを学校教育の現場にいろいろ適用して、今までにあまり光があたっていなかった領域を考えていくことは可能だろうと思います。

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