すでに日本の中にも、父母地域社会などの意向を学校運営に反映していこうとする試みは決して少なくはない。ここでは最近の実践例から2,3紹介して、あなたの町や村の学校評議員のあり方を考えるきっかけが得られれば幸いである。
(1)長野県上田第六中学校「生徒・保護者・地域・教職員の四者会議」(1999.2)
この事例は、学校自由参観(96年)の実施をきっかけとして、むしろ「内に開かれた学校づくり」、つまり生徒の生の声を聞き学校づくりに反映する試みとしてはじまった。学校と子どもが抱えるいじめ問題を機に、さらに生徒会役員と地域の教育諸団体からなるいじめ等対策委員会との「意見交流会」が、さらに父母、生徒、教職員の三者による「意見交流会」に発展していった。そこで、もっと「学びがいのある学校にするために、学校生活に関すること(授業、部活動、校則、いじめ問題等々)について、日頃思っていることを自由に出し合う」ことが全校的(運営参加)に行われ、やがて「生徒を中心にすえた学校づくり」を進めることが基本方針とされた。こうした経験の上に、こども、PTA、地域住民、教職員という学校教育の担い手による合意が成立し、「上田六中の学校づくりを考える生徒・保護者・地域・教職員の四者会議」(略称四者会議、1999.2)が実現した。これは、これまで「学校のあり方にたいして言いたいことがあるのは当然なこと(なのに)、・・・それをいえる場所が今までなかった」ことに気づいた結果であった。その要綱によれば、会議の内容は必ず、生徒・家庭・代表者に配布され公開され決して役員任せではない点が重要である。そして、このいわば事実上の学校協議会が「よりよい学校づくり」に一層貢献するには「この会議にどれだけ多くの生徒や父母や地域そして教職員の声が集約され、それらが話し合いのなかに反映されていくか、そして話し合われたことが具体的に学校生活に返されていくか」が鍵となると総括されている点は示唆的である。(詳しくは、土屋彰・皆川宏、生徒中心にすえた学校づくりを目指して、『教育』2001.5)なお、上田市では、管理規則を改定して学校評議員制を採用しているが、自治的運営組織としての四者会議と評議員の関係は、教育長によれば前者が「学校生活全般への意見反映の場」であり後者は「学校運営への意見反映の場」と捉えられている。また、評議員の会議・議事録の公開や人選も職員に計って推薦するなど評議員制度の民主化が目指されているといってよい。また制度の限界を乗り越え、職員が参加し発言するケースが知られることは注目されよう。(田村朗、検証・上田六中の学校づくり、同前誌参照)
(2)埼玉県鶴ヶ島市「学校協議会」(1999)
このケースは、地域住民による教育参加、つまり学社教育連携(98年)にはじまった新しい経験である。ここでは、自治体独自に学校評議員制度とは異なる「合議制の組織」によって保護者・地域社会と学校との関係の再構築を目指したものである。これは学校が地域に開くというよりは地域がその核であるべき学校のあり方を放棄した、その責任が保護者・地域社会にあるというむしろ、これまでの逆の発想で学校のあるべき姿を追及しようとするものであった。何故主人公であるはずの子どもたちが、学校で生き生きと学べないのか、これに対し子ども、保護者、教師、地域住民の共同のために学校協議会が起こされたのである。子どもを加えることは前者のような代表参加であればともかく、どのような手続きを経るのか明確ではないが、大胆な試みではある。(尤も、高知県では国に先駆けて類似の制度を発足させているが、教員の他児童・生徒の代表が参加している。)また学校運営責任者とされる校長とこの協議会との関係も、学校の自治的あり方とその運営(代表)責任という点からも注目されよう。これらは各学校に委ねられるとはいえ、教委の指針により一律設置が通知されたと伝えられる。あるいはこうしたドラスティックなやり方が教育界に必要と思われる局面が多々あるとしても、100年の計たる教育には条理に基づく十分な合意づくりが求めらることは言うまでもない。(参照。増森幸八郎、平井教子、鶴ヶ島市のまちづくりと教育改革、同前誌。なお、文部科学省(初第中等教育企画課)が本年4月に実施した学校評議員制に関する調査結果が『教育委員会月報』(平13.8)に報告されているので併せて参照されたい。)