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◎「閉ざされた学校」からの脱却
時あたかも校内暴力や不登校児の増大に直面して、人々が学校という名の人為空間の異常性に気づきはじめた1980年代の半ば、中曽根内閣のもとでその後の教育改革の基本を定めることになる臨時教育審議会(臨教審)は、56年以降の学校管理・運営を含む教育(行政)のあり方に、後に「新自由主義」と呼ばれる立場からメスを加えた。
◆「過度に形式主義的・瑣末主義的な管理教育」の結果、「教職員と児童・生徒・父母等」の間の「信頼関係」の破綻が生じている。また「現在の学校に見られがちな『教育上の配慮』に名を借りた学校の閉鎖性」が「社会の信頼を急激に低下させている」。その確立のために「学校は、父母や地域住民の学校に対する意向等を適切に把握し、これに責任を持って対処する姿勢が必要である。」そうして学校に自由と規律を回復させることができる。(出典、臨時教育審議会「教育改革に関する第二次答申」昭和61,『文部時報』昭62,8月臨増)◎「開かれた学校経営」
そこでは、学校と父母地域社会の教育連携に止まらず、父母住民が学校の管理や運営に直接的に関わりを持つような仕方で架橋するものであり、それが「開かれた学校」の発展的なあり方として描かれている。
◆ これからの「開かれた学校」の在り方は、単なる学校施設の開放という範囲を超えて、・・・学校の管理・運営への地域・保護者の意見の反映等をはじめとする開かれた学校経営への努力・・・へと、よりひろく発展するもの」(同上、第三次答申、昭62)◎ 地域社会・住民による教育充実の捉え方
臨教審答申より10年遅れてではあるが、文部大臣のもとに置かれた中央教育審議会(中教審)の新世紀に向けた教育改革プランにも登場した。教育を自己責任の下に置こうとする「新自由主義」の考え方は一層明確になっている。
◆ 「地域の人々の意向を反映しつつ、地域社会における学校外の様々な活動の充実について連絡・協議を行い、・・・地域連絡協議会を設ける」。これは、「地域社会における教育の充実について関係者の参加意識を高め、保護者や地域の人々が、行政や他人任せではなく、自分たち自身の問題としてこれに取り組んでいく大きな契機となる」(中教審「21世紀を展望したわが国の教育の在り方について」第一次答申、1996年7月19日)A 学校の「自主性や自律性確立」
◎ 自主的・自律的学校運営
学校が父母住民に開かれたものであり、特色ある教育を営むためにはその自主性や自律性が最大限に保障されなければならない。それは教育という事柄の本質的要請に他ならないからである。問題はそれが学校の独善に陥らないためには、絶えず学校が父母住民の声に耳を傾け教育的願いを敏感に聞き分けることができるようなシステムを備えているかにある。
◆ 「公立学校が地域の教育機関として、家庭や地域の要請に応じ、できる限り各学校の判断によって自主的・自律的に特色ある学校教育活動を展開できるようにするため、・・・『地域住民の学校運営への参画』等の視点から見直しをはかる。」
「今後、より一層地域に開かれた学校づくりを推進するためには学校が保護者や地域住民の意向を把握し、反映するとともに、その協力を得て学校運営が行われるような仕組みをもうけることが必要であり、・・・学校外の有識者等の参加を得て、校長が行う学校運営に関し幅広く意見を聞き、必要に応じ助言を求めるため、地域の実情に応じて学校評議員を設けることができる」これにより、「学校と地域の連携に資することが期待される。」(中教審「今後の教育行政の在り方について」(答申)1998.9.21、第3章)