いろいろな人権問題 『同和問題ver.2』 
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同和問題 ver.2

(1)同和問題・部落差別

同和問題・部落差別

 基本的人権が踏みにじられている最も深刻かつ重大な問題。それが同和問題・部落差別です。いわゆる同和地区・被差別部落といわれるところに「生まれた」 「育った」「住んでいる」というだけで、まわりの人たちから異質なものを持つ人として、今なお就職や結婚などで差別され、また、排除されるという重大な人権問題です。 彼は、彼女は、好んで同和地区に住んでいるのではありません。好きで同和地区に生まれ、育ったわけではないのです。本人にはまったく責任のないことで差別され、排除されるという 重大な人権侵害。それが同和問題なのです。












同和問題・部落差別

 では、なぜ彼等は差別され、排除されるのか。それは、差別の歴史から考えないとわかりません。わが国では、古来死者を穢(けが)れた存在としてきたわけでは ありません。死者を穢れたものと見るようになったのは、平安時代に渡来した仏教が支配階級に取り入れられてからです。平安仏教は「死穢(しにえ)・産穢(さんえ)・六畜(りくちく)の 穢(え)・肉食の穢(え)」の考えを広め、穢れをキヨめる仕事をする人たちを、賤視(せんし)・蔑視(べっし)するようになりました。そして、死者を埋葬したり、けものを殺して 肉を作ったり、皮を剥いで皮革製品を作ったりする人々を、穢れを持つ人として排除し、差別していったのです。この思想は、仏教の広がりとともに一般民衆へ浸透していき、 民衆支配の考えと結びついていきました。










同和問題・部落差別

 こうした、穢れをキヨめる人々を賤視・蔑視して、社会的に排除する考え方は、武家支配となってから身分制としてその制度の中に組み入れられていきます。 つまり、封建時代に政治的につくられた封建的身分制度に由来する「つくられた差別」ということができます。江戸幕府は、この身分制を固定し、居住地、職業を固定し、 さらには他の身分の人との通婚も許さないといった徹底した賤民支配政策をとったのです。農民・町人には、彼等賤民を穢れた者として差別・蔑視させましたが、一方では居住地からの逃亡を 防ぐため、彼等の生産物・仕事には特権を与え、生活するうえでは保護していたのです。












同和問題・部落差別

 江戸幕府の賤民政策は、明治政府にとっては困ったものでした。というのは、賤民とされた、えた・非人の人たちの屋敷地や生産物等への税を免除していたからです。 明治政府は、明治4年「解放令」を出し、これまでのえた・非人という呼称をやめ、平民とする旨の太政官令を出します。しかし、一方では、明治5年につくられた初めての全国的な戸籍、 「壬申(じんしん)戸籍」の族籍欄には、「新平民(しんへいみん)」「元穢多(もとえた)」「元長吏(もとちょうり)」などといった呼称がそのまま記載され、その閲覧はなんと 昭和43年法務省が開示を禁ずるまでできました。そのため、結婚や就職などの身元調査に利用され差別が継続されてきたのです。











同和問題・部落差別 そして、これまで独占的に扱われてきた死牛馬処理の特権や皮革製品の 製造販売権、下級警察用務などの仕事も独占権も剥奪されてしまいます。部落の人たちは、今まで、生活の糧を生み出してきた皮革生産、皮革生産物、細工物といった仕事が明治政府の 近代的工場にとられ、生活の糧を得るすべてを失ってしまい、貧窮のどん底に落とされていくのです。さらには、江戸時代に固定された住環境の改善は何もされないまま賤民として周囲の 人々から賤視され続けるのです。やがて、部落の人々は貧窮生活の中で、学校へも行けない子どもたちがたくさんでてきます。そして、まわりの人々からは「あいつらは、汚い、粗野だ、 不衛生だ、怖い」といった偏見の目で見られるようになったのです。こうした偏見が現代にまで続いているのです。

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