いろいろな人権 『ハンセン病と人権』 
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ハンセン病と人権

(8)予防法廃止が遅れた理由

  1996年にらい予防法は廃止されます。なぜ、ここまで廃止が遅れたのでしょうか?それは、隔離政策が、患者を隔離すると同時に、ハンセン病治療自体を隔離してしまっていたからなのです。この閉鎖性こそが、一般の医療・研究機関からハンセン病という病気、患者への関心を遮断してしまい、惰性的に現状を肯定する療養所の幹部らによって、本来誤りを是正する主導的立場の学会が支配されたために、医学的に廃止されるべきという学説は学内で抹殺され、隔離政策は不要で廃止されるべきという世界の流れも無視し続けられていったのです。立法根拠のない隔離政策が黙認される中で、戦後の経済成長がもたらす豊かな社会からは、新たに発症する患者が激減したことや、医療の向上によって治癒する病気となってからは、療養所生活を余儀なくされた人たちの運動を通じて療養所の処遇も年々向上していきました。すると、予防法の廃止を躊躇させる考え方が生まれてきます。入所者の処遇を保障し、改善していく予算を獲得するには、根拠として隔離条項をもつ予防法の存在を強調する必要があったことです。この強制隔離と処遇改善は表裏一体という論理を背景に、法廃止に向けた動きが停滞していったのです。しかし、厚生省でこの論理によって処遇改善に努めた大谷療養所課長は、退職後の1994年に療養所の処遇維持・継続を条件とする予防法の全面廃止と関係機関の反省を求める私的見解(いわゆる大谷見解)を発表します。これまでの表裏一体論には入所者の人権回復という視点が抜け落ちていたことを指摘したこの見解は、大きな社会的反響を呼びながら人権という原点に立ち返り、予防法の廃止が実現されていったのです。

(9)予防法廃止の遅れと責任

  予防法を廃止する法律には、療養所での必要な医療や福利増進の措置を継続し、親族への援助を行うとする経過規定が設けられました。その中でも、社会復帰には重大な問題を残しています。ハンセン病自体は治癒していても、今までの過酷な処遇によって多くは後遺症を抱え、加えて平均年齢も70代後半にまで高齢化が進んでおり、さらには、社会からの差別を家族が受けぬよう絆を断ち切って入所したこと、子どもを産み育てることが許されなかったことが、療養所からの退所を阻んでいるのです。たとえ法が廃止されても、これまで長く続いた隔離政策によって、奪われ、取り戻すことのできない人権がありました。そこで、加害責任の明確化と謝罪、名誉回復と損害賠償、真相の究明と再発の防止を求める、人間としての尊厳の回復をかけた国家賠償請求訴訟が提起されました。原告である入所者に残された命あるうちに判決を求め争われたこの裁判は、異例の速さで審理され2001年の熊本地裁で、遅くとも1960年以降、隔離の必要性は失われており、その制度的欠陥を是正しなかった厚生行政の過失、立法上の不作為を認める原告勝訴の判決が言い渡されました。これは、司法からも隔離されてきた入所者への初の司法判断であり、人権を取り戻すうえで不可欠な判決だったのです。こうして、人間回復に向けた第一歩が踏み出され、国の法的責任に基づき「真相究明」「人権回復」「再発防止」を柱とする協議と検証が現在も進められています。

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