子どもの笑顔を守るために今 
もどる  目次へ  すすむ  
ボランティア活動

 

 17歳の時に日本に戻り、高校を2年で卒業して上智大学に入りました。アメリカの学校やインターナショナルスクールは、単位を取れば早く卒業できるので、1年早く上智大学に入学したのです。上智大学も、神父さんが教えてくれる学校だけにボランティア活動が多く、よく神父さんと一緒におにぎりを作って、ホームレスの方々に配っていました。外国人の私たちが、へたな日本語で話をしていると、ホームレスのおじさんがいろいろな話をしてくれるのです。まだそのころは私も若くて、相手の方々に対しての思いやりもなくて、ただ大変な生活をしているのだなあというような感じでした。しかし、ボランティアという行動を通して、価値観の違いや考え方の違い、宗教や文化によって行動に違いがあることに気づくことが楽しくもありました。
 例えば、イランではナマダンの時期になると食べることは許されません。太陽が昇って沈むまでの間は、回教の友だちは食べないのです。子どもは少しの水は飲むことが出来ますが、食べてはいけないのです。一緒に食べようと言っても、絶対に食べないのです。友だちがそういう事をする姿を私たちも尊重し、きちんと自分たちで守っていくということに尊敬心も持ちました。
 タイでは、友だちの家に泊まる時は、一回外に行って入り直さなければならないのです。仏教徒の習慣かどうかわかりませんが、家の玄関には神様がいるからだそうです。神様に、「今日は泊まりますからよろしくお願いいたします。私は悪さをしに来たのではありません」と言うのです。そして、夜寝る前に枕に向かって「今日泊ります」と言うのです。「なぜこんなにたくさんお願いするの」って聞くと、「どこにどんな魂がいるかわからないし、いたずらされるといけないから、あなたは私たちのゲストだっていうことを知らせるためだ」って言うのです。後でわかったのは、シャーマンとブラーミンとそして仏教というのが入り混じった文化としてタイの中に存続しているのです。
 また、タイの山奥に行ったときには、帰るときに必ず村人が集まってきました。村といっても10軒か15軒の家族がいる村に、子どもたちが200人も300人も寄宿舎で生活しているような村ですが、帰る時には必ずお別れの儀式をしてくれました。大きなテーブルを村の人たちが囲んで、皆の周りに糸をぐるぐると巻いてくれます。糸の中は聖なる場所ですから悪い霊が入ってこないということで、最後になると糸をとって私たちの手首のところに巻いてくれるのです。糸を巻きながら、安全な旅をしますようにとか、子宝に恵まれますようにとか、お金がたくさん入りますようにとか、いつまでも美しくいられますようにとか、一人一人が自分の思いを結びながら言ってくれるのです。それが一つの習慣なのですが、それは解れるまで着けておかなければいけません。それが自然にポロッととれた時に、相手が念じてくれたことが叶うのです。坊さんに、「これずっとつけていなければいけないのですか」と聞いたら、「切っても構わない。ただ切ったら木の根っこの所に植えてあげなさい」と言われました。占いもそうですが、良いように解釈することが大事で、「こういう悪いことが起きるからこういう風にすればよくなります」と言ってくれるのが占い師だと思います。私は家の木の周りに植えました。そういう文化の中で、自分が遊んだり、感じられることがとても嬉しく思うのです。
もどる  目次へ  すすむ