私が4歳になる頃、父はドイツに転勤になりました。祖父の「家族というのはいつも一緒にいなければいけない」という言葉から、私もドイツについて行くことになりました。ドイツではインターナショナルスクールに入って、そこでドイツ語を覚えました。日本語、英語に加え、今度はドイツの文化が入って来ました。そこにはすばらしいドイツ人の先生がいて、私をとても可愛いがってくれました。ドイツ人と日本人とは仲が良かったとよく言われますが、ドイツ語を一生懸命教えてくれたり、自宅へ招いてドイツ料理を食べさせてくれたり、両親も呼んでくれたりして、様々な事件があっても一切戦争等の話をせず、人間は仲良くなければいけないと教えてくれたのです。
子どもたちの中にはもちろんいじめっ子がいました。私は日本人の顔をしていますし、母が日本人だと知っているアメリカ人の子どもたちが私のことをいじめました。先生はすぐにそばに来て、「何をしているの。あなたたちは!」とかばってくれました。彼女の顔を見ると安心して、勉強に取り組めたのです。私に時間を与えてくれたという事が何より良かったのです。
【 アメリカの2つの小学校での体験 】
小学校3年生の時にアメリカに行き、4年生までペンシルバニアの学校に通いました。そこは、アメリカの憲法が作られた州で、リンカーン大統領のゲテスバーグの戦争で奴隷解放のスピーチが行われた場所です。
そこの先生もすばらしい方でした。私のクラスは白人ばかりでしたが、先生は私ともう一人の黒人の男の子にゲテスバーグの演説を暗記しなさいと言いました。なぜあの長くて非常に難しい演説を暗記させたのかその時は良く分かりませんでしたが、その演説は、“人間はすべて平等にできていて、私たちは自由のために戦わなくてはならない。皆お互いの自由を尊重し合わなければいけない”ということが大事な内容でした。父の先祖はこの自由のために戦って来ました。それを私たち2人が白人の子どもたちの前で演説することによって、彼らは私たちを非常に尊敬し拍手してくれたのです。私たちはある意味ではハンディキャップを背負ってアメリカにいるわけですから、差別されるということが当たり前です。おそらく先生は、クラスメートから尊敬されるような存在でいさせるために工夫してくださったわけです。60年代は黒人と白人の様々な問題があった時で、なおかつケネディ大統領の時代でした。
それから学校が変わってメリーランド州にあるキリスト教の学校に入り、シスターと出会いました。クリスマスの頃、シスターたちに、「みんなで孤児院に行く時に、同じような年齢の子たちとペアになってプレゼント交換するから、お家で一番大切にしているおもちゃを持っていきましょう」と言われました。一番好きなおもちゃは誰にもあげたくないですね。好きなものですから。それを持ってくるように言われて、どうしようと思いながら、今年貰ったお人形さんは一番新しいバービー人形だったので、去年貰ったお人形さんにしようと思ったのです。それで結局は、去年貰ったバービーでもなく、もっと安いバービー風な人形にしました。髪の毛を一生懸命梳かしてきれいにして、洋服をセットして持って行って、そこで交換したのです。
相手の女の子たちは孤児院に入っていて物を買うことが出来ないので、自分たちの作ったきれいなレース編のハンカチとか、刺繍をしたかわいいい花柄のハンカチをくれました。そのことを未だに覚えています。後から聞いたら他の友たちも同じことをしていたみたいだったのですが、私たちのプレゼントをすごく喜んでくれて、私は嬉しさとともに、罪悪感を感じました。一番好きなおもちゃをあげなければいけなかったのに、違うおもちゃをあげたからです。
次の日学校に行くと、先生が「あなたたちは本当に立派でした。物を買って差し上げることは出来るけれど、自分が思いを寄せるものを差し上げることはすごく大事なのです」とおっしゃり、段々私はしょぼんとなりました。人に物を差し上げるという事より、むしろ人を思いやることの大切さを教えてくれたのです。これはとても大きな教えになったと思います。