新選組とその時代 
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日本とアメリカ(2)


  明治時代、留学生たちはみんなドイツやフランス、イギリスに行ったと考えがちですが、あれは主として短期留学生です。医学であればドイツ、工業技術であればフランスというように分けて留学させていました。しかし留学生の総数を調べると、実は圧倒的にアメリカが多いです。その理由は民間企業のレベルではほとんどアメリカに行かせたからです。したがって、実際に文化や産業が日本に運び込まれたのは、実はヨーロッパではなくてアメリカから輸入したものが一番多かったわけです。それから大正の初めに長年の両国の懸案であった太平洋定期航路が開かれます。神戸-サンフランシスコ、横浜-シアトルという2本です。ここで定期的にアメリカの文化が日本に入ってくるようになります。ここでいわゆる大正ロマンというものが花開きます。これはヨーロッパの風俗ではありません。あれはアメリカです。
  その当時アメリカとヨーロッパの文化には格差がありまして、1900年から1910年ぐらいにかけてのアメリカとヨーロッパとの服装の格差がものすごくあります。アメリカはすごく特殊です。したがって、日本に流入してきたモダンボーイ、モダンガール、いわゆるモガモボの服装のセンスはヨーロッパではありえないです。あの時代に西海岸のハリウッドで映画産業が盛んになり、その映画産業の映像を母体としてファッション業界が発達します。それが日本に入ってきて、モガモボ、つまり大正ロマンのあのファッションになりました。大正時代に第一次世界大戦がありましたが、それが終わると世界中が軍縮の時代に入り、文化が花開きます。着飾った人たちが銀座の街を歩くという、とってものどかないい時代があったわけです。文化的にはとても爛熟していい時代で、これもアメリカの文化が徹底的に流入していたからです。私はその頃の雑誌を資料として持っていますが、大正から昭和の初めの横文字の氾濫はすごいです。今以上にカタカナだらけです。例えば「この形の唇には、この色のルージュがよく似合って、あなたをよりクレバーに見せます。」という文章が昭和の初めに婦人雑誌に書いてあります。
  しかしその後、がらっと変わり鬼畜米英となって、敵性語は一切使うなという極端なことになりました。そしてここには欠点がありました。実は大正の末から昭和の初めにかけて日本人、特に都市部は今以上にアメリカ化していました。ところが、この中で唯一アメリカに毒されていない人たちが、日本の中央にいました。これが軍人です。軍人には明治天皇から賜った軍人勅諭がありました。その中の一行に、軍人は一切政治に介入してはならないという一行があって、軍人は一切政治を学ぶことがありませんでした。これは今で言うシビリアンコントロール、文民統制で徹底されていました。その結果どのようなことが軍人の間に起こったのかと言いますと、全く政治を知らないエリートが集団として出来上がりました。ところが世の流れとして軍人勅諭に文民統制があったにもかかわらず、いろいろな理屈がつけられて、現役の将軍が大臣、つまり閣僚に入って政治的発言権を持ち、そしてそのうち現職の軍人が内閣を組閣するというような、軍人勅諭と矛盾することが起こってしまいました。しかしそうしなければ軍が肥大化し過ぎて、統率がとれないのでしょうがないのかもしれません。その結果、彼らはアメリカに対してものすごいコンプレックスの塊だったのではないかと思います。
  実は私はこれを自分の身を持って経験したことがあります。私は若い時に自衛隊にいました。自衛隊のあの塀の中は時間がとまっています。今は外出も結構自由かもしれませんが、私の時代の70年安保の時代には、外出なんてほとんどできない状態でした。面白おかしく塀の外では騒いでいて、世の中が高度成長期でよくなっているけど、塀の中だけ時間が止まっていて、何もわからないというすごくコンプレックスを感じたことがあります。軍隊はナポレオンやクラゼビッツの時代に組織的に完成しているのでしょうがないです。兵器は進歩しましたが、それ以外の生活や組織は全く進歩していません。このように塀の中と外の断層はどんどん開いていくので、恐らく昭和の初めの頃の軍人たちは、塀の外では自分と同い年のやつらがモガモボやっているけど、俺たちは何も分かっていないという、現在の風俗や文化に対するコンプレックスがものすごくあったのではないかと思います。その結果、アメリカ化している日本にとても抵抗を持ったのが軍人たちだったのではないかと思います。そうでなければ対米宣戦布告というのは、少し飛躍があると思います。これは当時の経済を簡単に計算してみればわかりますが、当時は国力を表すのは鉄鋼の生産量でした。鉄鋼の生産量は昭和16年の時点で日本:アメリカ=1:100です。1:100の国が戦争すると思いますか。これはとんでもない差です。したがって、開戦に踏み切ったのは、人間の心の中にあるコンプレックスや敵意がそうさせたのかなと思います。幕末以来永遠と続いた日本とアメリカの関係は、大体この一本の線で説明がつき、その間途中で1回大戦争をしてしまいましたが、実は今も昔も変わらぬ一番近い国、お互いに最恵国という関係です。
  最恵国としてはそれなりの付き合いをしなくてはいけないと思いますが、追従することではありません。相棒なので間違っていると思えば、間違っているとはっきり言うべきだと思います。隣人としてそれぞれ政府の考えはあるかもしれませんが、一番親しい仲であれば、正しいことを発言したことによって経済的な打撃を被ろうが、それはしかたがないと思います。そのように考えて付き合っていかなければ、これから先もいい関係はできないと私は思います。

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