近代100年
なぜ私が幕末から現在までの話をしたかと言うと、歴史の授業では教えないからです。実は日本の初等教育、中等教育で近代100年のことはほとんど教えません。日本史の中で弥生時代や縄文時代なんて教養として知っていてもいいかもしれませんが、本当に一番知らなくてはいけないところは、一番近いところではないでしょうか。歴史は何のために勉強するのかと言うと、自分がどうしてここにこのように生きていられるのか、自分がどうしてこのような生活をしていられるのかということを確認するための歴史学です。したがって、一番大切な歴史は自分から近いところほど大切なはずなのです。私は今、第二次世界大戦やアメリカに対して間違った発言をしたかもしれませんが、これは学校で教えてくれなかったことを自分なりに勉強した結果、自分でそのように考えたということです。学校で教えてくれるのは明治の条約改正のところまでで、そこから後は読んでおきなさいと言います。理由は2つあります。一つは大学受験の出題率が低い、これは勉強が教養ではなくて受験のための勉強になっているという歪みを表しています。そしてもう1点は、言いたくないことや教えづらいことが多過ぎるということです。しかし教えないと駄目だと思います。私たちは今、空白の100年という教養の上に生活を作ってしまったのです。これは大変いけないことだと思うし、恥ずかしいことだと思います。
身近なことを考えてみれば、自分の父親のことが理解できないということが家庭で起こるわけです。私は身を持って体験しました。私は昭和26年生まれで、高度成長期の申し子なので、何一つ不自由しないで育ちました。しかし私の父親は大正13年の生まれで、恐らく日本の有史以来、最も不幸な時に生まれてしまった人です。しかしその子どもである昭和26年生まれの私は日本の有史以来、一番幸福な時に生まれ育ちました。果たしてこの親子の価値観は理解し合えるのか、これは余程歴史を知っていなければ理解し合えません。学校で歴史を教えてくれなかったから、私は自分の親父はなぜこんなにケチなのか、なぜこんなに偏屈なのかということばかり考えていました。しかし、後で自分で本をたくさん読んだり勉強して、大変な時代だったということがわかりました。関東大震災の焼け野原で生まれて、物心をついた時には昭和の大恐慌になり、そしてようやく工場に就職して旋盤の一つでも回せるようになったと思ったら、赤紙一枚で戦争に連れて行かれて、そして九死に一生を得て帰ってきたら東京がまた焼け野原で、そこからまた闇市を駆けずり回って、食うや食わずの人生をまた歩み始めなければならなかった、何度も奈落の底に突き落とされたような世代だったのです。このようなことも学校では教えてくれなかったので、父親のことをよく理解できませんでした。
日本人は無口であることが美徳なので、自己表現が下手だという言い方もできますが、父親も自分のことについては語らなかったので、余計にわかりませんでした。このようなことを考えると歴史をきちんと教えていないので、家庭の中のその親子のあつれきが今現在でもあると思います。したがって、このようなことに目を背けず、そのための学問であり、実学と思うので、これはやはり学校できちんと教えるべきであり、また自分が知らなかったら自分で責任を持って学ぶべきだと思います。みなさんもぜひこの100年を大切にして、そして130年前の幕末は決して昔ではなくて、今現在の私たちの生活とダイレクトに繋がっているということを意識しながら、幕末の物語を読んでいただきたいと思います。
私もいろいろと思うところがあり大学に行かなかったので、すごく学問が不器用で書いているものも本当に自己流です。しかし自分自身ではその歴史を書く上において、小説は嘘の世界ですが、その嘘に対しては責任を持たなければならないという姿勢で、きちんと調べて矛盾がないように書き、一つの歴史書として読めるようにしています。せんえつながら、見てきたように戦争のこともいくつかの小説に書かせていただいております。実は戦争の頃を書くのはすごく勇気がいります。まだご存知の方がいっぱいいらっしゃるからです。しかし見てきていないから書けないということではなくて、実際見てきた方から取材ができ、それで私たちの世代がそれをきちんと書かなければいけない。これは実際見てきた人たちよりも、もしかしたらきちんと書けるかもしれません。これは私たちの世代の一つの使命だと思いますので、きちんと戦争の話を書いていきたいと思っています。今日はこれで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。