ことばの万国博覧会−アジア館− 
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セデック語・アミ語


月田尚美先生
月田尚美先生
 セデック語とアミ語というのは台湾原住民の言葉です。台湾のことを少し紹介しますと、人口が2200万人で、その内訳はホーロー75%、ハッカ13%、外省人10%、原住民2%です。千年前は原住民しかいませんでしたが、17世紀以降に福建省から福建系の人々が来ました。福建系の人々の子孫をホーローといいます。それからハッカも来ました。また、第二次世界大戦が終わった後に国民党が台湾に逃げてきましたが、その時に来た人たちとその子孫のことを外省人と呼びます。
 台湾は1895年から1945年まで日本の植民地になりました。その後国民党がやってきて、その軍政下に数十年間かあったわけですが、1990年代以降民主化しました。
 台湾原住民は数でいうと大体40万人です。まだ伝統的な言語を保っている原住民は13あります。しかし既に伝統的な言語を保っていない原住民もいます。彼らは平埔(へいほ)族と呼ばれています。言語は失っても、痕跡的に独自の文化、お祭や習慣を残している場合もあります。
 台湾原住民の言語はオーストロネシア語族に属します。簡単に文の基本語順だけ言うと、VOS、VSO、つまり動詞が文の一番最初に来る語順が多いです。オーストロネシア語族は太平洋全域に広がっていて、東部語派と西部語派に分かれます。東部語派はハワイやイースター島、フィジーの方です。西部語派はインドネシアから西の方になります。台湾原住民の言語はフィリピン諸語と似ています。どのくらい近いのかというのを下の表でご覧ください。
セデック語

セデック語

セデック語
 表の上二段が台湾原住民の言語です。数字に関してはアミ語は2つずつ書いてあります。下の段にあるのは人を数える時の数え方です。マラガシ語はマダガスカルで話されている言語です。表記は言語学者の作った比較辞典から書いてきたものなので、もしかしたら正書法とは違っているかもしれません。言語学者が使う表記と正書法が時々一致しないことがありますので、少し注意してください。インドネシア語とマラガシ語が似ているのは、オーストロネシア語族がインドネシアからマラガシの方に広がっていったからです。
 次は「父」「母」「男」「女」「こども」です。少し似ていないところもあります。「父」だとセデック語、アミ語、タガログ語の形は似ていますが、インドネシア語、マラガシ語は少し違います。「母」はアミ語とタガログ語が似ています。もしかしたらセデック語とインドネシア語の形も関係がありそうです。「男」はタガログ語、インドネシア語、マラガシ語が似ています。セデック語の「こども」は「laqi」ですが、これがタガログ語、インドネシア語、マラガシ語の「男」に対応しています。
 次は代名詞ですが、代名詞も非常に似ています。「私」はどの言語にも「k」が入っています。それから「私たち」も似ています。アミ語、タガログ語、インドネシア語の形がみんな同じです。このようにオーストロネシア諸語は台湾からフィリピン、インドネシア、そしてマダガスカルにまで広がっているというわけです。
 実は今、台湾原住民言語、文化は消滅の危機に瀕しています。外来政権である国民党政権の下で社会的、経済的、文化的に抑圧されてきた歴史があり、言語も抑圧されてきました。外省人政権の言語である北京語が国語とされ、人口の75%を占めるホーロー人の言葉やハッカ語、あるいは原住民の言葉が抑圧されてきました。国語以外の言語を話すと、例えば「私は方言を話しました」という札をさげさせられる、あるいは先生が子どもを叩くといった政策が採られてきました。これは昔の日本にもあったことです。そのせいでその若い人たちは国語ばかり話しています。その人たちが子どもを育てる時、自分たちの言葉で話しかけずに、北京語で話しかけることになります。そのために子どもが彼ら自身の言葉を習得できず、言語の継承が危機に瀕しているわけです。言語の他にもいろいろな問題があって、失業率が高い、中学を中退する人が多い、それから十代で子どもを産む人たちも多いので、30半ばにしてもう孫がいるという人もいます。また、アルコール中毒も問題になっています。
 明るい動きもあります。1990年代以降、国民党の李登輝が初の台湾出身の総統となり、彼が進めた民主化に伴って、原住民の文化も見直されてきました。しかし言語の継承についてはまだ足りないと思います。日本人も協力して、もっと盛り上げていかなくてはいけないと思います。

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