ことばの万国博覧会−アジア館− 
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インドネシア語

歴史的背景
小座野八光先生
小座野八光先生
 インドネシアの人口は現在2億3000万と見積もられ、そのほとんどすべての人々が、程度の差はあれインドネシア語を話すことができます。あとでくわしい背景をお話ししますが、インドネシアの隣国マレーシアの国語であるマレーシア語も、そしてシンガポールとブルネイの国語マレー語も、実はインドネシア語とほとんど同じものなのです。つまり、インドネシア語とそのバージョンの言葉は、計4つの国で国語としての地位を認められているということになります。
 言語は一般にいくつかの近縁言語からなるグループ、いわゆる語族に属します。たとえば日本語を常用する私たちから見て英語とドイツ語はたいへんよく似ていますが、実はこの2つの言語は同じグループに属しているのです。インドネシア語はあとでお話しするジャワ語やスンダ語、また、フィリピンのタガログ語やセブ語などと一緒に「オーストロネシア語族」というグループに含まれます。このグループの言語は、西はマダガスカル島、東はハワイ諸島やイースター島、南はニュージーランド、北は台湾と、非常に広い範囲に分布していますが、このうちで最大の話者人口を持つものがインドネシア語ということになります。このインドネシア語がどのような経緯で、インドネシア全域で話されるようになったのかということを考えてみましょう。
 インドネシアは多民族国家で、たくさんのエスニックグループからできています。このうち最大のエスニックグループがジャワ人で、その人口は1億人を超えます。ヨーロッパにおいて人口1億人を超える国はロシア以外にはなく、この1億人超という人口規模は実に驚くべきものです。また、2番目に大きなグループ、スンダ人は人口3000万人ほどですが、この人口はヨーロッパの中規模国に匹敵します。3番目のマドゥラ人も人口1000万台で東ヨーロッパの小さな国と同等の人口を有しています。そして、この上位3位まででインドネシアの総人口の約4分の3を占めることになります。ここで、注意していただきたいのは、これらのエスニックグループとはおのおの固有の言語と文化背景を持った別々のグループであって、たとえば日本国内における「東京人」「名古屋人」「大阪人」といったものとは一緒にできないということです。このジャワ人、スンダ人、マドゥラ人は、それぞれジャワ語、スンダ語、マドゥラ語という固有の言語を持っていますが、これらの言語は名古屋弁、大阪弁といった方言ではなく、近縁関係にはあるのですが、まったく別々の言語なのです。たとえば、近縁関係にある英語とドイツ語とオランダ語でそのまま話をしても通じないのと同じように、ジャワ語、スンダ語、マドゥラ語間相互での会話は成立しません。
 ところで、すでにお気づきかもしれませんが、この上位3位までの大きなエスニックグループの母語はインドネシア語ではありません。実は母語のレベルでは、インドネシア語はスマトラ島のマラッカ海峡に面した部分に住む、人口数百万の比較的少数の人たちの言語です。では、なぜジャワ語やスンダ語ではなく、インドネシア語がインドネシアの国語となったのでしょうか。皆さんは「モルッカ諸島」という地名を耳にされたことがあると思います。モルッカ諸島、インドネシア語ではマルク諸島といいますが、これらの島々は別名「香料諸島」、つまりスパイスの島々と呼ばれています。チョウジやニクズクなどスパイスの原料となるものの樹種は、気候の関係でよく生育する場所がモルッカ諸島に限られています。近代初期のヨーロッパではこれらのスパイスが珍重され、たいへん高い価格で取り引きされていました。そしてこのモルッカのスパイスを、インド人やアラビア人、後にはポルトガル人、オランダ人などに中継して大きな利益を上げていたのが、マラッカ海峡の両側に住んでいたムラユ人で、彼らの言語がムラユ語というわけです。そして、この「ムラユ」を英語読みすると「マレー」ということになります。この商業と航海に長けたムラユ人たちが先ほど申し上げたモルッカ諸島のスパイス貿易を軸に、現在のインドネシア、マレーシア、さらにはフィリピン南部の海域までを股にかけて、ヨーロッパがすっぽり収まるほど広大な商業ネットワークを張っていたのです。そして、この彼らの交易圏の中でのビジネス上の共通語として、ムラユ語が各地で用いられるようになったわけです。
 このような言語をリンガフランカと呼びますが、今日の世界においては英語がこれにあたるでしょう。たとえば日本人の商社マンがタイ人の業者さんと取り引きをしたいとき、タイ語のできない日本人と、日本語のできないタイ人は何語で話すでしょうか。話者人口が多いからといって中国語やスペイン語を話すでしょうか。常識的に考えれば彼らは英語で話すはずですね。このようなリンガフランカの機能を、かつて広大な東南アジアの海の世界で果たした言語がムラユ語だというわけです。ところがその後、この地域にショッピングにやって来ていたヨーロッパ人たちは、次第により利回りの良い手荒な方法でのビジネスに転じていき、その結果、19世紀には東南アジア各地が彼らの植民地となってしまいます。そして、このマラッカ海峡の両側に栄えたムラユ人は、オランダ領となったスマトラ島側とイギリス領になったマレー半島側に引き裂かれてしまうことになりますが、ムラユ語はこれらの地域でのリンガフランカとして生き残りました。時代は下って第二次大戦の後、この地域のオランダ領植民地はインドネシアとして、また、イギリス領植民地がマレーシア、シンガポール、ブルネイとしてそれぞれ独立していくことになります。そして、それぞれの地域で話されるムラユ語は国語としての待遇を受けるようになり、インドネシアではインドネシア語、マレーシアではマレーシア語、シンガポールやブルネイではマレー語と呼ばれるようになったというわけです。
 今日、インドネシアでもっとも重要な役割を果たしているエスニックグループは、総人口のおよそ半分を占めるジャワ人であるといえます。歴代の大統領はほとんどジャワ人ですし、政治、経済、軍事、教育などあらゆる領域でのジャワ人の優勢が見られます。しかし、ジャーナリズムや文壇においては、ムラユ人やムラユ語に非常に近縁なスマトラ系諸語を母語とする人々の健闘が目立ちます。「もの書き」としては、やはり手馴れた言語で書けるに越したことはない、ということでしょうか。

言語の特徴
 さて、本業が歴史研究なものですから、つい調子に乗って歴史の話が冗長になってしまいました。今度はインドネシア語のいくつかの特徴について、思いつくままに時間の許す限りお話することにしましょう。
 まず、インドネシア語の発音ですが、英語などに比べて日本人には取っ付きやすい部分があるといえます。日本語には開音節性といって、ほとんどの音が母音で止まるという性質があります。お気づきのように、子音・母音がセットのかな文字はこのことを前提にしていますし、英語などから入った外来語もこの性質を帯びていわゆる日本語式の発音となります。そして、インドネシア語の発音も基本的に開音節的であり、日本人初学者のハードルをある程度下げてくれることになります。しかし一方で、語末に関しては閉音節、つまり子音が単独で現われる場合もよくあり、特に語末に接尾辞を付加する際などには注意が必要です。
 また、インドネシア語の表記については、オランダの植民地時代以降、ローマ字表記が一般的に行われてきました。今、お話しした開音節性も手伝って、ほぼ発音のとおりに表記されるため、初学者にはたいへん学習しやすいということができます。アルファベットの26文字で表しきれない子音については、別に「kh」、「ng」、「ny」、「sy」などローマ字を複合して表示しますが、たとえば、「kh」はあくまで単独の子音であって、「k+h」ではない点に注意が必要です。母音については表記上は、単母音は「a」、「i」、「u」、「e」、「e」、「o」の6つ、二重母音は「ai」、「au」の2つですが、「e」と表記される母音が2つ存在します。ひとつは日本語のエと同様の発音で問題はないのですが、もうひとつの「e」はむしろウに近い曖昧母音となり、用例はこちらの方が圧倒的に多いので初学者は注意が必要です。二重母音については語末にのみ現われるもので、むしろ例外的と考えていいかもしれません。またインドネシア語では通常はっきりした長母音は現れず、ほぼ短母音のみが用いられるという点にも、長短母音を正確に操るという特技を持つ日本人学習者は留意しなければなりません。
 ところで、インドネシア語の綴りには英語式の新綴りとオランダ語式の旧綴りの2つがあり、1970年代以降は新綴りのみが用いられていますが、人名の表記には旧綴りがまだ残っています。日本語でも、たとえば「ひろた」さんという人には「広田」と新字と使う人と、「廣田」と旧字を使う人の両方がいる一方で、地名の「広島」を「廣島」と表記することはもうありませんよね。これと同様のことがインドネシア語でもあるわけで、たとえば、初代大統領スカルノはSoekarnoと綴っていました。つまり、新綴りの「u」は旧綴りでは「oe」と表示されていたわけです。Soetardjoという著名な学者がいましたが、これは「スタルジョ」と読みます。新綴りの「j」はかつては「dj」であったわけですね。現在、共同研究をしている親友でMachmoed先生という歴史学者がいるのですが、この人は「マフムド」となります。つまり現在の「kh」が旧綴りでは「ch」であったということです。
nol satu dua tiga empat
lima enam tujuh delapan sembilan

から9までのインドネシア語の数
 つぎに数の問題を考えてみましょう。先にお話ししたようにインドネシア語は国際商業用語、リンガフランカとして、長い歴史の中で揉まれてきましたので、数の体系については非常に合理的にできています。皆さんは日常使っている日本語の数の読み方にいろいろな面倒があることをご存知でしょうか。たとえば、200を「にひゃく」というのに、なぜか100を「いちひゃく」とはいいませんね。300は「さんひゃく」ではなく「さんびゃく」、400は「しひゃく」は誤りで「よんひゃく」のみが使われますね、でも、40を「しじゅう」といってもいいわけでしょう。この手の問題は、実は外国人が日本語の数を学習しようとする際の負担となるものです。ところが、インドネシア語にはそのような面倒はまったくありません。1から9までの数を覚え、あとは位取りの単位を覚えればもうそれでおしまいです。同じくリンガフランカとしての背景を持つ英語の数の合理性に通じるものがありますね。ところで、1から9までの数を眺めているとある特徴に気付きます。それは足して10になる組み合わせは頭文字がすべて一緒だということです。これは片手の指を基準とした一種の5進法がかつて用いられた名残りだ考える人もいます。次は位取りですが十の桁は「puluh」で表します。したがって、20は2が「dua」なので「dua puluh」、30は「tiga puluh」となります。また、21なら「dua puluh satu」ですね。10については1の「satu」を短縮形「se‐」として「sepuluh」となります。それから足の指も使って勘定できる範囲ということでしょうか、11から19までは別扱いで、1から9までの数の後ろに「-belas」を付加します。つまり、12は「duabelas」、13は「tigabelas」となり、11については10の場合と同じ理屈で「sebelas」となります。つぎに百の桁は「ratus」で、100が「seratus」、200が「dua ratus」、その調子で999は「sembilan ratus sembilan puluh sembilan」となります。また、千の桁は「ribu」となりますので、1,000は「seribu」、2,000は「dua ribu」となっていきます。そしてここが重要な点なのですが、千より上は百万まで位取りが飛びます。皆さんお気づきのように、これは英語の場合とまったく同様ですね。英語の「million」に当たる百万の位取りがインドネシア語では「juta」となり、たとえば500万であれば「lima juta」となります。もう一つ上の位取り十億は「miliar」、その次の兆の位取りは「triliun」となります。ところで、インドネシア人は主婦や学生でも、いや小学生でさえも、数字を書くときには位取りの点をきちんと入れます。今、お話ししたように、彼らの数字の読み方とこの位取りの点が符合していて実用的だからです。大きな数を読むのに、日本人のように下の桁から「一、十、百、千、万・・・」と勘定していくようなこともないわけです。ところで、0は「nol」といいますが、これはオランダ語から入ってきたものです。以上、数関係で出てきた母音字「e」は、すべて先ほどふれた曖昧母音の発音となりますので、念のため。
 さて、いよいよ時間も押してきましたので、最後に人称詞と親族呼称についてお話ししましょう。まず人称詞ですが、話し相手との上下関係と距離感によって一人称、二人称ともに2つのパターンが存在します。一人称単数の場合、日本語の「私」くらいのニュアンスを持つ「saya」と「僕、あたし、俺」程度のニュアンスの「aku」の2種があり、同様に二人称単数の場合、「君」のレベルの「kamu」と、少々固い感じで出番は少ないのですが「貴方、貴女」に当たる「anda」の2通りがあります。もうひとつ特徴的な点として、2種類の一人称複数概念、つまり2つの「私たち」が挙げられます。まず、話し手と話し相手の両方を含む一人称複数概念「私たち」は「kita」で表しますが、話し相手を含まない場合、「私ども」という語感になりますが、「kami」という語を使います。たとえば、日本人の「私」がインドネシア人の「あなた」に向かって、「私たち(=kita)アジア人は・・・」と話す場合と、「私たち(=kami)日本人は・・・」と話す場合の違いをイメージしてみてください。お気づきのように、この2つの語が示すものが一致することはありえず、両者はまったくの別概念なのですが、日本語や英語ではこれを区別せずに一緒にしているわけですね。
 ところで、親族呼称が二人称に転用される場合がよくあり、これが「kamu」や「anda」などの二人称詞の出番を少なくしているということもできます。一番よく用いられるのは「父」の意味の「bapak」、と「母」の意味の「ibu」ですが、男女を問わず「年長のきょうだい」を示す「kakak」、「年少のきょうだい」の「adik」なども一般的です。実はこれに類した現象は日本語にも見られます。たとえば小児科のお医者さんが患者の子供の母親に「お母さん、お入りください」というような言い方をしますし、私なども年配の方に「お兄さん、これどうぞ」などと言われることがあります。つまり、このような言い方を頻繁に用いるのがインドネシア語の二人称表現の特徴だというわけです。
 また、インドネシア語の親族呼称は、英語でいう「Mr.」や「Mrs.」のような敬称に転用される場合があります。たとえば、「田中さん」という場合に、父や母という意味の「bapak」「ibu」を用いて「Bapak Tanaka」や「Ibu Tanaka」とするわけです。もちろんその人物の年齢や自分との上下関係に応じて他の親族呼称も使い分けることになります。
 さて、他にもインドネシア語について皆さんにお話ししたいたくさんのトピックがあるのですが、残念ながら今日はここまでにさせていただきます。    

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