新大陸の古代王朝(1) 中米古代王朝の国家宗教と政治 
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月のピラミッド


 月のピラミッドは6年前から掘り始めました。月のピラミッドといっても単体で独立しているのではなくて、都市計画の中に組み込まれた1つの要素です。そして月の広場というのがあって、その周りにも小さなピラミッドが幾つかあります。これら全体で月の広場といわれ、月のピラミッドはその中心になります。この内部からトンネルを掘ったり、周りを発掘して中の構造を調べています。そして中から月のピラミッドより古いピラミッドが幾つか見つかっています。それと同時に墓が4つ見つかっています。これはテオティワカン発掘史の中で、1世紀以上になりますが、最も高価なものがここから出ています。
 月のピラミッドは死者の大通りのちょうど中心軸、これは町の中心軸でもあるわけですが、その中心軸上に建てられて、それの一番北の端に位置します。後ろにあるセロ・ゴルドといわれる大きな山の頂上と一致するように造られています。中心軸の上に神殿がある、つまりピラミッドは当時の人にとっては自然の山も象徴します。そして密かに通じる道でもありました。当時は地上界や地下界、天上界というものが信じられていて、人間は地下界から生まれてきて、死ぬと地下界に戻ると考えられていました。その入り口がピラミッドというわけです。山に行くと、洞窟や地下に潜るもの、湖の底も地下界に通じると考えられていました。海岸のほうに行くと、そこが地上界の境になります。太平洋岸、大西洋岸などの海が拡がっていて、その海を行けば地下界に通じると考えられていました。したがって地下界というのは水の世界と考えられていました。その入り口になるのがピラミッドです。このようにピラミッドは当時の世界観を反映しています。
 月のピラミッドにトンネルを掘っていくと、いろいろな古い建物の跡が出てきました。これによって7つの建物がここで造られたということがわかりました。始めは25m四方くらいの小さなピラミッド状の神殿の基壇を造ります。それを今度は前のものを全部埋めて大きくしていき、3番目も前のものを埋めて大きくしていくという形で、少しずつ増築していきます。したがってトンネルを掘っていくと、中から次から次へと古い建物が出てきました。
 また月のピラミッドから見つかった墓からは、矢じりやいけにえ用の黒曜石でできたナイフも出てきました。これは他の文化からもわかることですが、王が自分の体に穴をあけて血をかなり採って幻覚をみたり、麻薬を使ったりして神と交信してメッセージを受けて、そして大衆に伝えるという儀式のための道具です。そういったものもたくさん出てきました。他にも戦士を表す鏡や貝製品、人形、いけにえの動物体、ひすい製品等たくさん出てきました。また壁画には鷲、ピューマ、ジャガー、狼がよく好んで描かれました。これらは戦いのシンボル、もしくは人身犠牲のシンボルでした。
 別の墓からは、手を後ろで縛られた状態で副葬品がたくさん散りばめられた埋葬体が出てきています。恐らくかなり頻繁に戦いが行われていて、捕虜で捕まった位の高い人たちの可能性が考えられます。
 また他の墓からは、人があぐらを組んだような形で、手は後ろに縛られておらず、前でそっと添えられている状態で出てきたものもあります。着けている物は上質のひすい製品です。これはテオティワカンで今まで出てきたことの無いもので、図象にも描かれていない特別なタイプのものです。
 副葬品も黒曜石のもの、ひすいのビーズ、貝製品などカリブ海の方からしか取れないものを埋めています。広い広域、政治的な繋がりが、このメソアメリカ全体の中心としてテオティワカンにあったということがわかってきました。テオティワカンの壁画からもわかりますが、非常に豪華な頭飾り、王冠、耳輪、ペンダントを着けていたら、王、もしくは王に相当するかなり位の高い人たちが、ここに埋葬されていたということがいえます。
 壁画もたくさん出ていますが、例えば狼や鹿や心臓などが描かれたものは単に自然の描写ではなく、戦士集団やいけにえの儀式を象徴的に示すものだという解釈になってきています。ただ単に宗教の1つの場面ではなく、政治的な意味も十分に含んでいる可能性のある絵といえると思います。このような壁画の解釈も、新しい考古学資料の元に新しい解釈になってきています。
 ピラミッドの機能は主にいけにえの儀式を行う場所としてのものでした。捕虜がいけにえにされて、心臓を切り裂かれるという非常に野蛮な行為ですが、彼ら自身にとってこれはこの世がいつか終わってしまうという終末観があって、それを終わらせないために、社会の存続のために行っていた、政治的な行為、宗教的な神事の元に行っていた行為というわけです。実際これをやっていたのは、当時の為政者で、統治者の権利を正統化する政治的目的があったわけです。
 テオティワカンの春分の日は、特別なピラミッドパワーが授けられるという宣伝をテレビでしたりして、現地で多くの人が訪れ、この日だけで60万人から100万人の人が、このテオティワカンの遺跡にきます。ピラミッドは横から登ると落っこちて怪我をする人が多いので、今は警察が出てきて横から登れませんが、これだけの人が入る大きな町なのです。その当時、今はアステカ人も神々の都と名づけたように、巨大過ぎてどういうふうに機能していたかわかりませんでしたが、私たちが今、このようなデータを考えると、モニュメントではいけにえの儀式がかなり定期的に行われて、そのために大きな広場を造って、巡礼の地として発展したということがはっきりしてきました。イスラム、メッカでも特定の日には数十万人から百万人という人が集まります。同じようにテオティワカンも宗教的動機から巡礼の地として栄え、ついには大きな古代国家が形成されたということが言えると思います。

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