新大陸の古代王朝(1) 中米古代王朝の国家宗教と政治 
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メソアメリカで栄えた文明と新大陸の古代文明


古代メソアメリカの主要遺跡

古代メソアメリカの主要遺跡
 それではもう少し細かく見ていきます。「古代メソアメリカの主要遺跡」という図を見てください。こちらは中米の地図です。現在のメキシコシティがあるのがテノチティトランです。テオティワカンはメキシコシティから車で1時間くらいのところにあります。テノチティトランがアステカの都だったところです。スペイン人が来て征服し、そしてそのテノチティトランをすべて壊して、その上に建てた町が今のメキシコシティになります。また、チョルーラにはアメリカ大陸、つまり新大陸で一番大きなピラミッドがあります。ちなみに二番目はテオティワカンにある太陽のピラミッドです。そしてその次が月のピラミッドです。テオティワカンについては次の章でお話しします。
 モンテ・アルバン、このあたりがサポテカ文明、ミシュテカ文明が栄えたオアハカ高地、オアハカ文明と呼ぶところです。年表で見ると、オアハカ高地、メキシコ中央高原、メキシコ湾岸低地、太平洋岸低地南部、マヤ地域という分け方をします。そしてメキシコ中央高原の中心にあるのがこのテオティワカン、テノチティトラン、チョルーラという大きな都市国家です。オルメカはメキシコの湾岸に栄えた文明です。そしてこの中央高地と太平洋岸との途中、海抜1000mから1500mくらいのところにあるのが別のユニークな文明を発展させたサポテカ、オアハカです。更に東の方に行くと、パレンケという有名な遺跡があります。このあたりから始まってユカタン半島一体からホンジュラス、エルサルバドル、このあたりまで現在でもマヤ部族が住んでいる地域になります。これが一般にマヤ文明といわれる宗教センターに栄えた地域です。
 北米のアリゾナ州には砂漠のところに大きな宗教センターがぽつんぽつんと存在します。それぞれの繋がりを持つような大きな政治規模というのは結局最後まで存在しませんでした。こういったものはアリゾナ、北米、テキサス、ニューメキシコの方に行くと見られます。
 ミシシッピ川の上流、中流あたりにはカホキアという北米で一番大きな遺跡があります。大きなマウントがあって、その周りに数千人単位の人が住んでいたと思われます。ヨーロッパ人が来た時にはまだ国家と呼べるような政治機構は持つには至りませんでした。しかしメソアメリカ、つまり中米からの影響が少しあり、農耕も中米の方から伝わってきています。
 メキシコ湾岸の方にはオルメカと呼ばれる文明が栄えました。そこには巨石人銅像がたくさん発掘されています。これは何を表すのか、まだわかっていません。今のところ血縁集団を中心とする首長国レベルの政治機構だったのですが、争いの中で打ち首にされた部族長の首じゃないかという説が有力です。
 メキシコにあるピラミッドとエジプトにあるピラミッドを比較されますが、メキシコでは基本的に神殿の基壇になります。エジプトの墓のためのピラミッドと区別されてきましたが、1950年代、60年代から発掘調査が盛んに行われて、メキシコのピラミッドも中に墓を含むということが、私たちの常識となっています。すべての中を掘ったわけではないので、すべてのピラミッドにあるとはいえないのですが、いろいろな事を考えると、ピラミッドはその地域のボスが埋葬されている一番可能性のある場所です。いろいろな形の墓、いけにえ埋葬体などいろいろな物が中から出ていて、メキシコのピラミッドの考えがだいぶ変わってきています。


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