日本文学と博覧会 
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『曇天』、『酔美人』 (永井荷風)


 永井荷風の『曇天』(1909年)では、夏目漱石の『虞美人草』でも書かれていた、1907年の東京勧業博覧会について書かれています。ただし、会期中ではなくて、終わってから上野を訪れて、その時の思いを述べています。直接博覧会を見た感想はないのですが、建物や建物を含む街並みについてコメントしています。上野を歩きながら様々なものを見て、それについて思いを語るという、ぶらぶら歩きながらの感想という形式の、永井荷風の文学においては非常に重要な方法で、不忍(しのばずの)池一面に浮いている破(や)れ蓮の葉の眺めの物哀れさに感情移入して、懐かしさや、愛情を覚えています。そのような感情を持つ一方で、それと対比させる形で、博覧会の建物と、それを生み出した新時代の精神を批判しています。
偉大なる明治の建築は、如何(いか)にせば秋の公園の云ひがたい幽愁の眺めを破壊し得らるゝかと、非常な苦心の結果、新時代の大理想なる「不調和」と「乱雑」を示すべきサンボールとして設立されたものであらう。
偉大という言葉を使っていますが、皮肉であり、批判的なことは明らかです。サンボールというのはシンボルのフランス語ですが、どうして不調和と乱雑を示すシンボルとして設立したのかと非難しているわけです。つまり博覧会の建物が決して誉めたものではないということ、不調和、乱雑であるという捉え方が示されています。一方では堂々たるものがあるわけですが、それに対して自分ははかないものや、弱いものの方につきたいという姿勢で、堂々たるものを批判しています。それが結局、不調和や乱雑しか生まないという捉え方です。ここに非難の核心があると思います。宮本百合子に「皮相的」という言葉があったと思いますが、そういう皮相さと繋がってくると思います。
 このようなことを言っている荷風が、アメリカ滞在中の1904年にセントルイスで開かれた万国博覧会の会場を訪れた時にどのような感想を持ったのか、ということが書かれているのが『酔美人』(1905年)です。
此処(ここ)は周囲七哩(マイル)以上もある会場中、最も壮観を極むる処で。遥か彼方の正門から、高い紀念碑と幾多(いくた)の彫像の立つて居る広場を望み、・・・
(中略)
驚くべき不夜城!これは亜米利加(アメリカ)人が富の力で作り出した魔界の一ツであらう。
と述べています。つまりその圧倒的なスケールに呆れるばかり、感心している一方なのです。『曇天』で見たような批判は特にありません。これはもちろん上野の会場とセントルイスの会場の広さがそもそも違いますから、そのようなことに基づくといえば、それまでです。しかし富の力の差に圧倒されているということが言えると思います。つまり掛けたお金の額が違うということです。その当時のアメリカと日本の経済力の差は明らかで、日本に帰って、東京勧業博覧会を見てみれば掛けたお金が違うので、いくら政府ががんばって建築を造っても、皮相的なものにしかなっていません。その落差がこの2つの文章の差に表れていると思います。
 これはセントルイス万博をどう見たかという、荷風の全体的な印象でしたが、この『酔美人』の主題はもう少し違うところにあります。この万博に来たのは、自分の知り合いのアメリカ人男性が絵を出しているからです。その人がいい案内人になってくれるだろうということで、荷風は訪れたわけです。その絵には、アメリカ人から見て非常にエキゾチックな存在である、エジプトやアラビア人の女性が描かれていて、画家が次のように説明します。
「私の一番苦心したのは、無論此(こ)の微酔(ほろよい)の眼ですが、然(しか)し其(そ)れよりも猶(なお)苦心したわりに、余り人が注意して呉(くれ)ないのは、有色人種の皮膚の色ですよ。私の心では、酒の暖気(あたたかみ)が全身に漲(みなぎ)り渡ると共に、有りと諸有(あらゆ)る血管中には、所謂(いわゆる)暖国の情熱が湧起つて来る・・・」
有色人種への関心、皮膚の色をどう出せばいいかといった苦労を語っています。有色人種という言葉がありますが、荷風はもちろん有色人種に属します。気になるのはその立場からこのような絵画に対して感想を述べたり、エキゾチシズムみたいなものに距離を置くということが書かれていないということです。
 これがどういうことなのか考えてみると、1つには荷風は長期滞在者とはいえ、やはり旅行者であったということがあったと思います。旅行者というのは別にその土地のすべてを把握する必要は全くないので、自分が接する限りのものと付き合えばいいということがあります。つまり通り過ぎる者として、住み続ける者とは違う無責任な態度が許されるわけです。したがって寂しさや旅行者の孤独も付きまといますが、他方でそういう無責任な好奇心も生まれるので、じっさい、荷風はアメリカ滞在中、様々な危険な場所を訪問しています。オリエンタリズムという、西洋の白人から見てのアジアやアラブ、アフリカに対する視線のあり方があります。昔は西洋にもあったが、今は失われているもの、それを東洋に投影するという目線ですが、旅行者であったがために、そのオリエンタリズムに荷風が割と同一化しやすかったのだと思います。自分がアメリカに住み続ければ有色人種であるということを突きつけられる時が多かったかもしれませんが、旅行者なのでいつでも帰ることができるとすれば、白人になったようなつもりにもなれるということです。それに対して日本に帰ってきてみると、日本の悪口をたくさん書いていますが、自分が住み続けなければいけない場所なので、全く視線が異なってくると思います。異なる視線で見てみると、日本における西洋化の中途半端さや不調和は目についてしかたがないということだと思います。  

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