日本文学と博覧会 
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『虞美人草』 (夏目漱石)


 1907年(明治40年)に上野で開催された東京勧業博覧会を舞台として使ったのが、夏目漱石の『虞美人草』という作品です。
 簡単にあらすじを説明しておきます。登場人物は宗近一という若者と、宗近の許婚(いいなづけ)のような存在である藤尾という女性、そして小野清三という男、その養い親である井上孤堂。この井上の世話になって小野は東京帝国大学まで進みます。そして井上の娘である小夜子がいます。この小夜子と小野は事実上許婚の関係です。つまり宗近と藤尾、小野と小夜子という許婚的な関係の二組の若い男女がいて、この二組の男女の話が絡まって展開していきます。
 藤尾は、単に家庭に収まってしまうということに、希望を見出せないタイプの女性として描かれ、そのために許婚的な関係にあった宗近と結婚することに躊躇してしまいます。むしろ宗近の友人で非常に勉強家で芸術的な雰囲気もある小野に藤尾は引かれて、積極的に関係を作ろうと努力し始めます。小野の側も、恩人の娘とはいえ、小夜子は古風で、おとなしくうしろからついてくるタイプの女性なので、藤尾と比べると見劣りしてしまいます。本文では養い親の井上孤堂と、その娘の小夜子を、小野の心情に即して「時代遅れのお荷物」とはっきり言っています。京都で育てられた小野が東京に行ったきり、養い親である井上にあまり連絡をしなくなったので、井上が心配になり、小夜子との結婚を促すために上京して勧業博覧会に行きます。この会場には宗近や藤尾が兄弟、友人たちと一緒に来ていて、2つのグループがニアミス状態になります。それが11章です。
 この作品で注目したいのは、文明の民が刺激に飢えて博覧会に集まる、あっと驚いて生きていることを確認したいために博覧会に来る、という語り手の博覧会に対する捉え方です。あっと驚くために、あるいは生きていることを確認するために来ているという、ある意味では批判的な文言になっています。
 そしてもう1つ注目したいところがあります。
「驚くうちは楽(たのしみ)があるもんだ。女は楽が多くて仕合せだね」
という言葉があります。この「驚くうちは楽があるもんだ」という言葉は後でもう一度繰り返されます。言い回しは少し違いますが、同じ内容のことを述べています。この言葉に注目したいのです。
 1つ目は女性たちがイルミネーションに感嘆していることを受けて言っていると取れると思います。その点では了解しやすいコメントです。しかし2つ目の方はかなり唐突で、具体的に何のことを指しているのかはっきりしません。この言葉は2回出てきますが、いずれも甲野欽吾という、藤尾の異母兄が発しています。この人物は哲学に関心があり、また体が少し弱いということもあって、世の中に対して非常に傍観者的で、老成したところがあります。哲学的な奥行きのある言葉になっていますが、甲野が言った言葉を藤尾が受けとめて
家へ帰つて寝床へ這入(はい)る迄(まで)藤尾の耳に此(この)二句が嘲(あざけり)の鈴の如く鳴つた。
とあります。したがってその藤尾の受けとめ方から考えれば、藤尾への嫌味だったということになります。甲野は妹へ嫌味を言って、妹もそういうものとして受けとめたということがわかります。しかしこの言葉が2回、リフレインのように繰り返されているということ、文明の民は刺激を求めて驚くために集まってくるというようなことを言っています。したがって「驚く」という言葉がキーワードとして、この章を貫いていると言えるのではないかと思います。
 つまり1つはイルミネーションに驚いたり、自分が関心を持っている男が別の女性と歩いていたことに驚いたりとか、そういう日常レベルの話です。もう1つは博覧会が文明においてどういう位置づけにあるかという、そういう広がりを持った意味での驚き、この2つの意味がここに重ね合わされていると言うことができます。このあたりはいかにも漱石らしいと思います。
 このような漱石の『虞美人草』における語り方は、博覧会から出発して、人間の有り様と文明や近代化に努めている社会の批評、両方を視野に収めているわけです。しかもそれを「驚く」というシンプルな単語で両方捉えているところが、この作品の面白いところです。
 また、小説家としての場面作りのうまさもあります。例えば博覧会というのは基本的に珍しいものを見に行く場所ですが、そこで見られるものが単に展示されているものだけではなくて、登場人物たちも見られる対象になっているということです。これは小野が藤尾たちに見られ、またそれを見てしまった藤尾がどういう思いになったか、つまり人間もまた見られる対象になる、そういう場面として、この博覧会の場面を作っています。これは小説の舞台作りとしてうまいという気がします。
 そしてこのことからはもう1つ引き出せることがあります。それは博覧会が眼差しの交差する場所だということです。それは新しいものを見たいという素朴な好奇心から出発しますが、当然すべてのものがすべての人にとって面白いわけではないので、様々な批判を呼び込むきっかけとなり、様々な比較対象が行われます。つまり博覧会は価値判断をされる場所だということです。
 作品の語り手、あるいは欽吾が、博覧会に対してはかなり批判的であるということは明らかですが、では漱石自身がどうだったかということを、最後に少し見ておきます。漱石は英国留学時に開かれたパリ万国博(1900年開催)を見ました。妻あての手紙の中で、漱石はものすごいスケールでとても全部見切れないということを言っています。そして東京勧業博覧会については、漱石は小宮豊隆宛の手紙の中で次のようなことを書いています。
博覧会へ行つてwaterシユートへ乗らうと思ふがまだ乗らない。
waterシユートというのは幅の広い滑り台を用意して、そこに木で作った舟を滑らせるという単純な作りですが、それがこの東京勧業博覧会で出されて話題を呼び、その博覧会に行きたいというのが漱石の気持ちだったようです。自分の住む東京で開かれている大きな博覧会なので、素朴に好奇心を持てたということがわかると思います。
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