日本文学と博覧会 
もどる  目次へ  すすむ  
『博覧会見物の印象』 (宮本百合子)


 『白頭吟』で扱われたのと同じ平和記念東京博覧会について、宮本百合子という作家がかなり辛口のコメントをしています。当時は中条百合子という名前で活動していて、博覧会見物の印象が『婦人公論』という雑誌の1922年5月号に載りました。次が全文です。
 まだ第二会場を一遍通り抜けただけなのでよく分りません。建物から云っては、決して感じよい建築とは思えません。モダーンなのはよいが、もう少し、外国雑誌の写真の、皮相的模倣以外に出られなかったものでしょうか。一目見てごたごたし、雑駁(ざっぱく)な印象を強く与えられたから、しんから愛らしい心持で欲しいなと思うようなものは見つかりませんでした。
ということを書いています。宮本百合子の父親は中条精一郎という、国内で様々な建築の設計をした建築家です。したがって娘は建物の印象に関して当然うるさいということになります。そしてこれより数年前になりますが、1918年、父親の仕事の都合で、1年足らずアメリカのコロンビア大学の聴講生になるなどして滞在していました。欧米を自分の目で見た体験があるから、このような感想が出てくるのだと思います。「外国雑誌の写真の、皮相的模倣」、この皮相的という言葉はこのあと見ていく他の作家たちも述べています。
もどる  目次へ  すすむ