新大陸の古代王朝(2) インカの国家宗教と政治 
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インカの国家システム


図1 四分体系
図1 四分体系
 インカ帝国は皇帝を頂点とし、底辺の広いピラミッド形の社会組織でした。血縁者である貴族、占領地の王族、族長、戦功あった指揮官から昇格した貴族、そして人民の大部分を占める農民の階層から成ります。農民は親族的なまた地縁的な集団であるアイユに属し、行政体はアイユが集まってサーヤ(郡)を、いくつかのサーヤが集まってワヌン(県)を、ワヌンが一つになってスーユ(地方)をつくります。帝国の広大な領土はタワンティン・スーユ(四つの地方)から成り立っていました(図1)。首都クスコには、太陽信仰のための諸神殿、皇帝が政治をつかさどる宮殿や公共建造物、貴族・神官・軍事指揮官の住宅、広場、街路が配置されました。主要建造物群とともに、倉庫、アンデーネス(段々畑)、水路、水浴場、墓地などが加わります。石造建築技術の発達はめざましく、経済活動と軍事目的から、海岸と山岳地帯を貫く幅6〜8mの幹線の公道とそれを結ぶ道路網が整備されました。ときにはトンネルや階段、渓流を渡る橋をかけ、1日行程の間隔でタンプ(宿場)が設けられ、チャスキ(飛脚)によって迅速なコミュニケーションが保たれました。皇帝は土地、鉱山、家畜などのいっさいの生産手段を掌中におさめました。そしてミタと呼ばれる労力提供の義務を農民に課して、彼らをトウモロコシ、ジャガイモを中心とする農業、リャマ、アルパカ、ビクーニャなどの牧畜、金・銀・銅の鉱産、有事の軍役に従事させました。農民が耕作の義務を負う土地は三つに区分され、第一の区画は神々のためのものであり、ついで皇帝の区画、そして家族の生活のための区画です。農民層からは、さらにヤナコナ(奴隷、召使)やアクリャ(選ばれた女性)が徴発され、アクリャは宮殿に入れられて、一生処女を守りながら太陽の神に奉仕し、皇帝のための織物を織りました。

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