愛知県の歴史 (1)古代 尾張の古代社会−尾張国正税帳の世界− 
もどる  目次へ  すすむ  
尾張国正税帳の語るもの(3)−地域の特産物−


 表3に“尾張国正税帳に見える経費一覧”ということで、現在残っている天平6年度の正税帳に見える支出項目があげてあります。これは尾張国がその年に正税で買った物品です。表の下に、それに対応するものとして、“『延喜式』に規定される尾張国の特産物”というのを税目別にあげてあります。



 表3には仮に番号をふっておきましたが、10番以降に「年料○○」とありますが、いわゆる年料別貢雑物だったり、交易雑物だったりするものをおそらく指しています。つまりこれは毎年、尾張国が中央政府に対して納めていたもので、ここでは、馬蓑、田蓑、荏、胡麻子、稗子、皇子(正しい漢字は「皇」の字に草冠が付き、“みの”と読みます)、糯米といったものを中央政府に納めることを義務付けられていたわけです。物品を『延喜式』のほうと比較しますとかなり共通項があります。『延喜式』というのは、10世紀のいろんなことを規定する施行細則ですが、『延喜式』にみられるような規定はおそらくほぼ8世紀にはできあがっていたと両方を比較してわかると思います。17番から進上交易物というのが始まります。17番に進上交易白貝内鮨、18番に進上交易苧、20番に進上交易鹿皮などとあります。このように『延喜式』に規定される尾張国の特産物とされるものとほぼ同じようなものが正税帳にもみえています。絹、綾、錦に関しては奈良時代、和銅4年に、わざわざあやとりの専門職を諸国に遣わせて教習させたという記事が『続日本紀』にあります。これは尾張国もその対象に入っていて、実際に尾張国ではそういった特別な綾織物、錦織物等を作っていたらしいということが正税帳の記載からもうかがえるわけです。
 また、最近では平城京、藤原京、飛鳥京等で尾張国に関わる荷札木簡が出土しています。この荷札というのは尾張国から中央に税金を運んでくる時につけたものです。荷札木簡を見てみますと、調の塩や庸の米などと混じって、赤米とか、酒米というのが何点か出ています。正税帳の表のほうを見ますと、3番の納大炊寮酒料赤米に対応しています。尾張国はそういった特別な酒を造るための赤米や酒米をかなり早い段階から負担することが決まっていた、言い換えるとそれが特産物のひとつであったということがわかるのではないかと思います。
 他にも経費をみていくと、どういうことを具体的にやっていたのかとか、年間の年中行事がわかる資料も若干ありますし、それから臨時の経費のところをみていくと、それぞれの年にどういったことが行われていたのかということも具体的にわかってくるわけです。
もどる  目次へ  すすむ