愛知県の歴史 (1)古代 尾張の古代社会−尾張国正税帳の世界− 
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尾張国正税帳の語るもの(2)−地域の豪族たち−


 尾張国の正税帳に限らず、正税帳には郡ごとの記載がありますが、その最後に各郡の郡司たちの署名が残っていて、どんな郡司がいたのかというのがわかります。ここで大事なのは国司と郡司は性格が全く違うということです。地方の政治は基本的には中央政府から派遣された国司が行いますが、地方のことを何も知らない国司だけでは、実際に地域の人を支配するにも、税金をとりたてるにもなかなか難しいわけです。そこで実際には、地域の有力豪族たちに直接民衆を支配させるという方式をとっていました。ですから郡司はその地域の有力豪族が務めているわけです。


 表2に“尾張国正税帳に見える郡司一覧”というのをあげておきましたが、こういった人たちが尾張国の有力豪族だったということがわかります。表の氏名の欄にある尾張宿禰はもともと尾張連ですので、尾張宿禰というのも尾張連というのも同族だと考えられます。他にも甚目連と思われるものですが、これもやはり尾張氏の一派ということになると思われます。中嶋連はおそらく中嶋郡を本拠地にしていた氏族です。三宅は、三宅という天皇の直轄地のような土地がもともと尾張に設定されていて、その三宅の監督者と思われる氏族です。ともあれ尾張国は連という姓が非常に多いわけです。連姓は、あまり地域の豪族というよりは、中央の大王家に仕えていた氏族がもらうことが多い姓で、そういうところから尾張国の特徴というものも見えてくるのではないかと思います。臣姓では和爾部臣というのが唯一いて、知多半島に多く分布していました。他に伊福部は尾張氏と同じ同族系譜をもっている氏族です。知多半島、北部の丹羽や葉栗は若干違うのですが、尾張国というのは、大部分をこの尾張氏が支配下においていたということが正税帳からうかがうことができます。  
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