愛知県の歴史 (1)古代 尾張の古代社会−尾張国正税帳の世界− 
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天平6年度尾張国正税帳【J断簡】


 次に同じように天平6年度尾張国正税帳の最後の部分であるJ断簡をみていきます。

J断簡
天平6年度尾張国正税帳(J断簡)
J断簡


 これはおそらくは知多郡(今の知多半島)の最後の部分の記載と考えられているものです。まず、国、郡で管理している倉が、どういう倉でどれだけあるかというのが書いてあり、その後に知多郡の郡司と思われる二人の署名があります。「若麻呂」「太麻呂」のところにかぎかっこをつけておきましたが、これは自署といって自分でサインをしています。こういう公式な書類はすべて字のとても上手な人が専門に書きます。しかし、最後の名前だけ自分でサインを入れます。5行目の「主帳外少初位上勲十二等伊福部「太麻呂」」までが郡部の記載になります。
 その後に、「謹件・・・・・・・・・・・・・・進上以解」とありますが、ここからはこの正税帳全体の末尾にあたる記載で、「・・・・・以解」で終わるという解の書式どおりに書かれているわけです。その次に「天平六年十二月廿四日」(天平6年12月24日)という日付があります。日付の下に書いてあるのがその書類作成の責任者、その後に国司たちの名前が書いてあり、それぞれにサインがしてあります。国司というのは守・介・掾・目の位があります。最後の「正八位下行大目伊吉連」という後にもこの人のサインが入るはずですが、この本人は朝集使として都に出張中で、尾張国には現在いません。だからサインができないのでその旨がここに記されているわけです。
 諸国から中央へは四度使(よどのつかい)といって、正税帳を持っていく正税帳使、先ほど出てきた政務全般の報告にいく朝集使、税金をもっていく貢調使、毎年作成される住民台帳である計帳をもっていく計帳使という4つの使いがいます。正税帳はこの正税帳使によって中央に報告されました。 

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