愛知県の歴史 (1)古代 尾張の古代社会−尾張国正税帳の世界− 
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天平6年度尾張国正税帳【A断簡】


 それでは具体的に天平6年(734年)度の尾張国正税帳をみていこうと思います。文字としては、異体字という普通の書体ではない字が使われていますが、律令公文は必ず楷書でそれもすごく字の上手な人が専門に書くものですから、非常に字がきれいで読みやすいです。
 まず、最初の部分であるA断簡をみていきます。左のA断簡を活字に起こし、異体字を当用漢字にあらためて書いたものが、右のものになります。

A断簡
天平6年度尾張国正税帳(A断簡)
A断簡


 最初の行は文字が欠けています。ここにはおそらくこうあっただろうという文字をかっこつきで入れておきました。実は、正税帳というのは書式がほぼ決まっているので復元がしやすいのです。しかもいろんな国のものが残っていて、基本的な書き方はだいたい同じですから、もともとどういう言葉があったかというのはかなり復元できます。まずA断簡の最初はおそらく「尾張国司解 申収納天平六年正税事」であったと考えられます。これはことがき・・・・と呼ばれる解文の最初の書き出しにあたります。
 その次の行からが、先ほど説明しました首部つまり尾張国全体の記載部分です。「合八郡」というように始まりますが、尾張国というのは奈良時代、平安時代を通じて、中嶋郡、海部郡、葉栗郡、丹羽郡、春部郡、山田郡、愛知郡、知多郡の8郡で、その8郡の集計分ということです。「天平五年」というのは、これは天平6年度の正税帳ですが、前年度の繰越分ということです。繰越分が穀と頴に分けて記載されますが、天平6年度尾張国正税帳の場合は、穀の部分の最初だけが残ったわけです。次に「定穀弐拾伍萬捌阡肆伯肆拾斛壱斗捌升壱合」とあります。公文書に書かれる数字は画数の多い大字というので書くことになっています。数字を一、二などの漢数字で書いてしまうと1本棒を足したりすることで簡単に改ざんできます。そのため、改ざんが行われないように数字を画数の多い漢字で書くことになっています。弐拾伍萬捌阡肆伯肆拾斛壱斗捌升壱合をわかりやすく書くと、258440斛1斗8升1合です。その内訳が3行目の「不動」と4行目の「動用」に分けてあります。不動というのは現在満倉になってしまって動かない倉、動用はまだ穀を入れている段階の動いている倉に入っている稲です。不動のほうが186456斛3斗6升9合、動用のほうが71983斛8斗1升2合で、この不動と動用を足すと最初の258440斛1斗8升1合になります。その後、5行目に「正税穀」、6行目に「郡稲穀」というのがあり、これも全体の総額の中に占める正税穀と郡稲穀の内訳です。正税穀は249431斛6斗6升6合、郡稲穀は8548斛2斗4升5合です。ところがこの2つを足しても最初の額にはなりません。おそらくこの後欠けているのですが、その他のもろもろの官稲、おそらくは官奴婢稲等が含まれただろうと現在は推測されています。それを合わせると最初の額になったと考えていいのではないかと思います。ともかく非常に額が大きいですが、計算がほとんど合います。この正税帳は単位が合までしか出ていませんが、他の国の正税帳などを見ますと、斛・斗・升・合のさらに下の勺とか撮とかさらにその下の位まで計算して、非常に厳密で正確なものです。正税帳の場合は計算で後から数値を復元することもでき、「復元天平諸国正税帳」という本も出ています。
 このA断簡の後におそらく前年度繰越の頴稲の記載があり、さらに収入の具体的な項目、支出の具体的な項目とその額がずっと続いて、最終的な本年度の残高つまり次年度の繰越分が記載されます。これが首部の記載です。その後には、同じように郡ごとの前年度繰越、収入と支出、次年度繰越の記載があったはずです。  
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